2020年1月19日 (日)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その16

 小川はさらに「妻に対する不信と疑惑」は「道」に近接して書
かれた小説断片「信者の家」の小学教師の妻や「我らの一団と彼」
の高橋の妻の、性的醜聞としても書かれていると指摘する。
 かくて「道」は妻節子が夫である自分以外の男性(現実には宮
崎郁雨)と性的関係を持ちうる女性であるのか、という問題をも
孕んでいるのである。
 多吉と松子のきわどい会話は「眇目(かため)の教師」××と女教
師山屋の問題に転じ、あのふたりはやはり性的関係があるのでは
ないか、郡視学に密告したのは雀部ではないかというところへ
落ち着いて行く。
 五〇歳くらいの××とおそらくまだ二〇代と思われる独身女性
山屋との関係は、老人の性の問題であるとともに若い女性の性の
問題でもあり、こちらは松子のひいては節子の性の問題に連関し
ている。
 さて、近道に失敗した三人の「老人たち」があらぬ方向からへ
とへとになってふたりに追いついてくる。
 最後の数行はこうである。
  水の音だけがさらさら聞えた。
「己はまだ二十二だ。――さうだ、たつた二十二なのだ。」多
吉は何の事ともつかずに、そう心の中に思つて見た。
 そして巻煙草に火を点けて、濃くなりまさる暗(やみ)の中にぽか
りぽかりと光らし初めた。
 松子はそれを、隣りの石から凝(じつ)と見つめてゐた。
 「道」の幾人かの登場人物の芯に石川家の二人があることはす
でに見た。目賀田・眇目(かため)の教師××・校長の中に一禎が、
松子・山屋の中に節子が浮かんでくるのであった。では多吉の芯
にはどんな啄木がいるのか。父に批判的な啄木、妻に疑惑を抱く
啄木がいた。そして末尾の数行の多吉には、どんな啄木がいるのか。
 若さをたよりに一家を養いつつ、自身の進路を模索する啄木を見
るべきであろう。
 「濃くなりまさる暗(やみ)の中にぽかりぽかりと光」る巻煙草の火は
多吉の心中の表現である。それを「凝(じつ)と見つめ」る松子のなか
に啄木家の誰の何を見るべきか。小川の「騎馬の巡査」の考察が
貴重なヒントになる。本稿「その2」に「父も母も妻も子も今は皆
私の許にまゐりました、私は私の全時間をあげて(殆んど)この一
家の生活を先づ何より先にモツト安易にするだけの金をとる為に働
いてゐます、」云々を含む啄木書簡を引いておいた。凝視する松子
の目は、夫啄木の自己変革がどれだけのものであるのか、若い夫は
今後どこに向かおうとしているのかを見極めようとする若い節子の
目なのであろう。

 

 

2020年1月18日 (土)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その15

節子の家出事件は夫に対する批判どころではない。「残された節
子の手紙を見るに、かなり以前から啄木への愛情はほとんど無く
なっているとしか思えないのである。」「最後の上京の時点で節
子の心は大きく郁雨の方へ傾いていたと思うべきだろう。むろん
精神的にだが、節子は夫より郁雨を求めていたのであり、家出事
件後、再び啄木のもとへ帰ってきてからも、その節子の気持に変
化は見られない。」と。そしてこう述べる。
  ……啄木が、こういった妻の気持に気づかなかったとは思え
ない。  
  ……つづめて言えば啄木はこの時、妻の中に見知らぬ<他人>
を発見したのである。
 おそらく、これも小説『道』執筆の隠されたモチーフであったと
思われる。ただ、この妻節子に対する不安と疑惑は、さすがの啄
木も正面から主題として扱うには抵抗があったようで、表面上は
老人と若者のテーマに覆われてしまっている。しかしこの前後には、
妻に対する根深い感情のもつれを暗に示すような断片がいくつか
見られる。『道』の直前書かれた「騎馬の巡査」では、第三連に、

  数ある往来(ゆきヽ)の人の中には
  子供の手を曳(ひ)いた巡査の妻もあり
  実家(さと)へ金借りに行つた帰り途(みち)
  ふと此の馬上の人を見上げて、
  おのが夫の勤労(つとめ)を思ふ。     

と描かれている。常日頃、生活の不如意を嘆いているらしい妻は、
当然実家に借金させるような「夫」を不甲斐なく思っているだろう
が、しかし須田町の街角で忙しく交通整理をしている巡査を見て、
「おのが夫の勤労(つとめ)を思ふ」のである。いうまでもなく、
ここには夫啄木の自責の念が反映しているとともに、「夫の勤労」
をわかってくれという哀しい願いもこめられていよう。たしかに
この時期、啄木は生活再建のためにできる限りの努力はしていた
のである。にもかかわらず妻節子が、一月一八日の手紙にあるよ
うに、情けない、面倒くさい、という心境で夫の願いに冷淡な無
関心を示し続けていたとすれば、啄木のやりきれなさは想像に余
りあるといってよい。最も身近な存在である父のみならず、安心
しきっていた妻の姿から得たこういう衝撃は、人生および人間認
識の深刻な変化を彼にもたらし、たとえば<人間、この不可解な
るもの>への開眼がなされたと思われる。
 詩「騎馬の巡査」は一月一三日の東京毎日新聞に載った。小川の
詩の読みは小説「道」を読み解くうえで貴重な意味を持ってくる(後述)。

 

 

2020年1月17日 (金)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その14

「娼婦」の中にも「娼婦性」を生得としては持たない人がたくさ
んいるだろう。まして女性全体でいえば「娼婦性」を持たない人
は無数にいるはずである。しかし「娼婦性」を持つ人もたくさん
いるはずである。
 多吉が感じているのは、多吉の誘惑的言動にあるものを期待し、
その言動に応じて男の気を惹こうとする女の態度である。これは
若い女性の性欲の発動の一形態であって多吉の誘惑的挑発的言動
(こちらは若い男性の性欲発動の一形態)と表裏をなす。これを
「娼婦性」と呼ぶなら、多吉にも「娼夫性」とでも呼ぶべきもの
があることになろう。ナンセンスに行き着く。
 一つの問題がある。多吉は独身の男なのか、妻帯者なのか、で
ある。若いうぶな男には言えないセリフ、浮かばない疑問であり
すぎる。渋民時代の啄木が妻帯者であったように多吉を暗黙のう
ちに妻帯者として設定しているのであろう。となると松子の多吉
に対する態度は妻有り男性に対するものとなる。微妙に「娼婦性」
に触れてくるともいえる。
 とはいえ松子にその傾向が若干窺われるからと言って「女には
皆娼婦の性質がある」と飛躍できるものではない。
 啄木が問題として提起したテーマは女の性・性欲の奥深さであ
ろうと思われる。
 なぜこんな問題を出してきたのか。小川武敏はそこに「妻節子
の存在」を見る。小川は言う。

2020年1月15日 (水)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その13

 真個(ほんと)に言つて了へば嚇(おどか)し過ぎだろう(二点リー
ダー「‥」16字分)。」と多吉は思つた。そして、「罷めましたよ。
貴方が吃驚(びっくり)するから。」
 松子は大丈夫と言い張る。日が沈んできたらしい。辺りがぼう
っとしてきた。松子は突然くっくっと一人で笑い出した。笑って
も笑っても止めなかつた。
 多吉は「女には皆娼婦(――2字分)の性質があるといふが、
真個(ほんと)か知ら。」とふと思う 。
 話題を前任の女教師のことに転じて「女は皆娼婦(――2字分)
の性質を持つてるつて真個ですかつて言つたら、貴方とはこれか
ら口を利かないつて言はれましたよ。」などと言う。
 そしてさっき「罷めた。」件に戻る。
 「僕が貴方を抱き締め(「――」4字分)ようとしたら、何(ど)
うしますつて、言ふ積りだつたんです。あははは。」
 「可いわ、そんな事言つて。‥‥‥真個(ほんと)は私も多分さ
うだらうと思つたの。だから可笑しかつたわ。」
 其の笑ひ声を聞くと多吉は何か的(あて)が脱(はず)れたやうに
思つた。そして女を見た。
 周匝(あたり)はもう薄暗かつた。
 「まあ、何(どう)しませう、先生?こんなに暗くなつちやつ
た。」と暫くあつて松子は俄かに気が急き出したやうに言つた。
 多吉には、然し、そんな事は何うでもよかつた。女といふ
(「――」4字分)ものが、急に解らないものになつたやうな心
持であつた。
 多吉は(作者啄木も)すべての女性に「娼婦の性質」があるの
ではないか、と疑う。
娼婦の性質」は「娼婦性」と言い換えてもいいであろう。
「娼婦」という職業は相手を選ばず性交に応ずるのが基本であ
る。「娼婦性」は本来的には「娼婦」という特殊な職業にある限
りで備えているべき女性の性的あり方およびそれに付随する態度
・振る舞い(媚び、誘惑など)の謂いであろう。言い換えれば、
性交相手を余り選ばない性向とそれに付随する媚びや誘惑的言動
とでもなろう。「娼婦」である女性個々人の生来の性向を指す言
葉ではない。

2020年1月14日 (火)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その12

 小川の言う「性的な主題」は若い人の問題へと展開する。
 谷川の橋の「危なげに丸太を結つた欄干に背を」もたせて、三人
の「老人(としより)」を待つ多吉と松子は微妙な会話を始める。その
橋からS――小学校まではもう「十一二町しかな」い。
 時間は日暮れ近く、場所は人気の無い村はずれ、男も女も満で言
えば21か2。女が赴任して「一月(つき)と経」っていないのだか
ら、ふたりのつきあいはきわめて浅い。その男女の会話として読むと
かなりきわどい。松子は独身だが多吉は妻帯か否か不明である。
しかしセリフの内容からすれば、ただの独身男とは思えない。
 「此処で待つて来なかつたら何(ど)うします?」
 「私は何うでも可くつてよ。」
  ……
「そんなら何時まででも待ちますか?」
「待つても可いけれど‥‥‥」 
「日が暮れても?」
「私何うでも可いわ。先生の可いやうに。」
 恋人同志ではない交際の浅い若い男女の会話にしては、男の探
るような言葉、女の誘いを待つような受け答え。
 多吉は日が暮れて真っ暗になったら山賊が出てきてあなたに襲い
かかるかも知れない、とからかってみるが、女は動じない。そこで
多吉はこう切り出す。
  「それぢや若し‥‥‥若しね。」
  「何が出ても大丈夫よ。」
  「若しね、‥‥‥」
  「ええ。」
  「罷めた。」
  「あら、何故?」
  「何故でも罷めましたよ。」
   多吉は真面目な顔になつた。
  「あら、聞かして頂戴よう。ねえ、先生。」
 多吉がなにかきわどいことを言い出すのを松子はむしろ期待し
ているかのようだ。

2020年1月13日 (月)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その11

 一禎という人は性的にも野放図なところがあったし 身体強壮
でもあったようだ。その一禎(この時かぞえ60歳)が上京して久
し振りに老妻カツ(63歳)と再会したのだった。襖一つ隔てた隣
室から拒否するカツと執拗に求める一禎との悲喜劇的なやりとり
の聞こえてくることがあったのかも知れない。となると、作者啄
木の老人の性への嘲笑は、父の性に対する批判の転写ということ
になる。
 このようにわたくしが勘ぐるのにも傍証はある。
三人の「老人(としより)」は批評会後に出た酒を楽しんだ。その後
また大きな農家に呼ばれてそこでも酒が出された。目賀田はとく
に飲んでとくに酔った。多吉は松子に向かってこう評する。
  僕も年老(としよ)つて飲酒家(さけのみ)になつたら、ああでせうか?
実に意地が汚い。目賀田さんなんか盃より先に口の方を持つ
て行きますよ。
 一禎こそ「年老(としよ)つて飲酒家(さけのみ)になつた」人であろう。
節子の先の手紙を再度引く。「父は酒を毎晩ほしがるし、仲々質
屋と縁をきる事はむづかしい様ですよ。何時も何時もピーピーよ」
 三人の「老人(としより)」とくに目賀田(60歳前後)へのきつい批判
はこうした一禎と不可分であろう。老人の性への批判にも同様の
ことが言えると思われる。

2020年1月12日 (日)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その10

 性的な主題は多吉が校長夫婦の性を揶揄する部分などに既に姿
を見せていた。本格的には実地授業批評会冒頭における「眇目(か
ため)の教師」××の発言をきっかけに展開される。(ゴシック体
は近藤の復元試案)
  一同何を言ひ出すのかと片唾をのんだ。常から笑ふ事の少
い眇目(かため)の教師は、此の日殊更苦々しく見えた。そして語
り出したのは次のやうな事であつた。――先月の末に郡役所か
ら呼出されたので、何の用かと思つて行つて見ると、郡視学に
別室へ連れ込まれて意外な事を言はれた。それは外でもない。
自分が近頃ここにゐなさる山屋さんと理無(わりな)い仲にある
いふ噂があるとかで、それを詰責されたのだ。――
 「実に驚くではありませんか?噂だけにしろ、何しろ私が先
づ第一に、独身で斯うしてゐなさる山屋さんに済みません。それ
に私にしたところで、教育界に身を置いて彼此三十年の間、自
分の耳 の聾(つんぼ)だつたのかも知れないが、今迄つひぞ悪い噂
一つ立て られた事がない積りです。(中略-引用者)私は学校
に帰つて来て から、口惜しくつて口惜しくつて、男泣きに泣き
ました。」    (引用者中略)
  一同は顔を見合すばかりであつた。と、多吉はふいと立つて
外へ出た。そして便所の中で体を揺(ゆすぶ)つて一人で笑つた。
苦り切つた××の眇目(かため)な顔と其の話した事柄との不思議な
取 合せは、何うにも斯うにも可笑しくつて耐らなかつたのだ。
 老人の性(性欲)への嘲笑である。老人の性はなぜこんなに笑わ
れねばならないのだろう。作者の批判(嘲笑)の立脚点が分からな
い。おそらく「私小説」的に読むことだけが解釈を可能にする。

2020年1月11日 (土)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その9

 小川武敏はいう。「こういった老人と若者のメイン・テーマに
絡みながらもうひとつのサブ・テーマが『道』に存在する。それ
は性的な主題である」 と。
 小川の考察に導かれつつ、この面から「道」を読んでみよう。
その場合の隘路はテキストの伏字である。「新小説」4月号のテ
キストによると伏字には主に二点リーダー「‥」が使われている。
二点リーダーを活字1字分として、伏字部分と推定できる箇所を
数えると16箇所計294字分もある。その外にダッシュを用いた伏
字が4箇所、計12字分ある。20箇所計306字分はひどい。啄木が
郁 雨宛書簡(1910年4月12日)でふれているのはそのことだ。
  『道』――あれには方々に‥‥‥‥だの――だのが沢山あつ
たらう。あれは皆「新小説」の奴等が禁止を恐れての仕事だ。随
つて意味のつゞかぬところもあるよ。
 「風俗壊乱」という凶器を振り回して性に関する表現を徹底的
に抑圧する国家権力を恐れ、春陽堂の編集部も神経質に自主規制
したわけである。しかしこの伏字は「道」のサブテーマの読みを
損なうことおびただしい。伏字部分の推定的復元なしに「道」を
読み評価しては著者に対して公正を欠くであろう。以下伏字部分
を含む引用にあたっては試験的にわたくしの復元例を入れること
にしたい。

2020年1月 9日 (木)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その8

 小川が言うように啄木の「その思いは衝撃や驚きではなく一種
憎悪に近いものだった」と思われる。啄木が「道」で描いた「老
人(としより)達」への酷薄とも言える批判はこう解釈すれば腑に落
ちる。田山花袋は「生」において自分の老母を「皮剥の苦痛」に
耐えながら描いたが、これにヒントを得かつ学びつつ、目賀田・
校長・「眇目(かため)の教師」××の三人(後述)に父一禎を写し
たのだ。啄木は内実と描写方法は自然主義的であるが「父」を全
く出さないで「私小説」を書いたことになる。これを称して「僕一流の
徹底的象徴主義(?)」といったのであろう。
  花袋はその代表的な自然主義小説「生」において「皮剥の苦痛」
なしには母を描けなかったが、啄木はその苦痛なしに父を描けた
ように見える。しかも一禎は明治四三年を生きている老人の一人
とはいえ見てきたように極めて特殊な老人である。これをいくら
批判しても「文化の推移の激甚な明治の老人達の運命」を描くこ
とにはならないのではないか。したがって上田博が言ったよう
に「『道』の形象はきわめて貧弱であ」り、「『道』には『はてしなき
議論の後』に見るような深い歴史的認識はない」という評価に落
ち着かざるをえないのである。しかし啄木が上田や小川の求める
ような意味での「世代論」をテーマに「道」を書こうとしたのか、
という問題は残っている。
  この問題はひとまず措いて次に進もう。

2020年1月 8日 (水)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その7

(承前)前年末に父を迎えて一息ついた啄木が、残余の人生に対し
て既に何等の希望も持たぬ無気力な父の姿勢に改めてやりきれぬ
思いを抱いたとしても無理はない。しかもその思いは衝撃や驚きで
はなく一種憎悪に近いものだったのではあるまいか。小説『道』に
形象化された老人の姿には、このような父に対する無言の反撥が
根底にあったと思われるのである。
 同時に、父一禎の行動も、家族を放置して家長としての責を全う
しなかったという点では、前年までの啄木の態度と軌を一にしてい
る。その結果、啄木は妻の家出という手痛い批判を受けたのが、一
方で父の血を受け継いだ自分の姿に思い当たるべきであったし、事
実思い当たったに違いない。
 小川の分析はみごとに「道」の核心にふれている。
父一禎の金銭感覚(布施と借金の思想)・生業の軽視(勤めに出る
気なしCf.独歩「二老人」にある隠居仕事)・家族扶養義務の軽視・
人間観(人は教化の対象)・責任と直視の回避の性行は啄木の魂に
食い込み、それを剔抉するためにかれは地獄の苦しみをしたのだっ
た(その最後の記録が「ローマ字日記」だ)。剔抉が終わったのは
つい三ヶ月前である。
 上京した父一禎は決別したはずの自分の権化のように映ったと思
われる。あのいとわしい自分にこのような形でまみえようとは、と
いうのが啄木の実感だったであろう。
一禎にとって息子は布施をくれる檀家総代といったところであろう。
何か仕事をして家計の足しにしようなどという気持ちは微塵も無い。
家族扶養義務などとうに捨てていた(実は戸籍上では今も戸主なの
だが)。かくて責任と直視を回避する一禎の性行は完全形だ。

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