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2009年2月19日 (木)

砂山の裾によこたはる流木に

     

     砂山の裾によこたはる流木に

     あたり見まはし

     物言ひてみる

<ルビ> 裾=すそ。

6ページを開くと出て来たのがこの歌です。

「明星」1908年(明41)8月号に啄木の詩「流木」が載っています。この詩が歌の背景となっていると思われます。

第3連を引いておきましょう。詩中の「渚」は函館大森浜の渚。「七尺」には「ななさか」の、「海鳥」には「かいてう」のルビがあります。

あはれ、その渚の上に

横たはる大き流木、

さしわたし七尺ばかり、

砂山に根をうち上げて、

枝もなき長き幹をば

その半ば海に入れたり。

海鳥は時にかがなき、

その上に翼やすめぬ。

掲出歌の「流木」は直径7尺(約2m)の上記の巨木をイメージしていいようです。

「あたり見まはし」は流木に話しかけるという異常なあるいは滑稽な振る舞いを、他人に見られはしまいかと思っての仕草でしょう。啄木は非常に茶目っ気のある人でした。

「物言ひてみる」 何を言ったのかは分かりませんが、直径2メートルの巨木がどこでどんな風にして育ったのか。その数百年間に何を見、何を聞いたのか。それがどうして切り倒され、枝も払われたのに、材木にならずに海に流れ出、ここに流れ着いたのか。こんな事を聞いてみたかったのではないかと想像されます。なぜなら、啄木自身、岩手県日戸村に生まれ、渋民村に育ち、盛岡に遊学し、東京に出、渋民に戻り、また上京し、盛岡に戻り、渋民に再移住し、ついに函館に流れてきた、という経歴の持ち主だからです。つまりかれは流木に自分を見たのでしょう。

<評釈> 砂山の裾に根もとを打ち上げて、長い幹の半分までを海中に入れたまま、横たわる巨大な流木をみたわたしは、自分の漂泊の半生を重ねてしまい、親しみを感じて話しかけたくなった。人に見られたらヘンに見られるだろうとあたりを見回したがさいわい誰もいない。そこで話しかけてみた。

人はなにか願望や鬱屈があると、独り言の代わりに、人間以外の物や生き物に話しかけたくなる時があるものです。たとえば家人の留守に猫に話しかけるとか、青空を流れる白雲に話しかけるとか。初詣などで神仏に願い事をするのも同じことでしょう。

次回6ページ左の歌は「砂山の砂に腹這ひ」と並ぶ名歌です。

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