« いたく錆びしピストル出でぬ | トップページ | 砂山の砂に腹這ひ-その1 »

2009年2月15日 (日)

ひと夜さに嵐来りて築きたる

     

     ひと夜さに嵐来りて築きたる

     この砂山は

     何の墓ぞも

<ルビ> 来りて=きたりて。何の=なにの。

<語意> ひと夜さに=一夜のうちに。何の墓ぞも=何の墓なのかなあ。

分かりきっていたはずの歌意が突然分からなくなりました。嵐が来て砂丘のどこかに1つの新しい砂山のできることなどありえるのだろうか。ありえるならこの歌は実際に経験したことを基礎にうたっていることになるのだが。もしありえないなら、全くの空想歌ということになる。この点が確実に分からなければ、解釈はむずかしいぞ、ということになったのです。調査に入りました。

「嵐が来て砂山のどこかに1つの新しい砂山のできることなどありえる」のか、どうか。もしこのことについてお分かりの方はご一報ください。

吉井勇に

砂山は墓のごとくにきづかれぬ君の墓なりわれの墓なり

という歌があり、この歌との影響関係も調べています。

訳す段になってこれらに気付きました。調査に時間がかかりそうな気配なので、掲出歌の評釈を中断します。調査済み次第報告を兼ねてこのページにつづきを書きます。

直訳は簡単なので、書いておきます。

一夜のうちに、嵐が来て築いたこの砂山は、一体何の墓なのだ?

この歌も「泣きなむとすと家を」出て後の砂山での1場面、という趣向になっていることを確認して、とりあえずつぎの歌に進みます。

09年2月28日、上の「砂山」についての疑問は解けました。「明星」1908年(明41)8月号に啄木の詩「流木」が載っていますが、その第2連につぎの3行を見つけました。

時ありて嵐は来り、

渚辺のところどころに

砂山を築きてぞ去る。

これによると一夜にして出来た「砂山」は波打ち際にできたもの。巨大なものではありえません。おそらく啄木はそれらの砂山に土饅頭(土をまんじゅうのように盛り上げた墓)を連想したのでしょう。歌の意味はこうなりましょう。

<評釈> 一夜のうちに波打ち際のところどころに嵐が築いていったこれらの砂山は、まるでいくつもの土饅頭のようだ。土饅頭だと人の墓だが、これはいったい何の墓なんだ?

吉井の歌についても見えてきています。

« いたく錆びしピストル出でぬ | トップページ | 砂山の砂に腹這ひ-その1 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/44055505

この記事へのトラックバック一覧です: ひと夜さに嵐来りて築きたる:

« いたく錆びしピストル出でぬ | トップページ | 砂山の砂に腹這ひ-その1 »