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2009年3月15日 (日)

いと暗き

     いと暗き

     穴に心を吸はれゆくごとく思ひて

     つかれて眠る

<語意> いと=とても。

<評釈> 真っ暗な穴に心を吸われてゆくようだと思って、1日の仕事に疲れきって眠りに落ちる。

今日の歌こそはあまり解説はいらないようです。とは言え少々。

初出は東京毎日新聞(今の毎日新聞とは無関係)1910年(明43)3月28日。5句が「眠りには入(い)る」 となっています。その後「学生」という雑誌の同年5月号に載せたときは5句を「疲れて眠る」と変え、同年12月刊の『一握の砂』では上のように「つかれて眠る」です。

この年の啄木は勤め人(サラリーマン)としても非常に勤勉でした。職場は東京朝日新聞社。仕事は校正係。夜勤も3日に1回の割でやっています。

夜勤の日仕事が終わるのは夜中の12時。本郷弓町の家に着くのは1時過ぎでした。そんなある1日の就寝をイメージしてください。

余白があるので、わたくしが座右に置いて、ブログを書くまえに常時参照している文献を記し、以て謝意を表したいと思います。

今井泰子注釈『石川啄木集 日本近代文学大系 23』(角川書店、1969年)

岩城之徳『啄木歌集全歌評釈』(筑摩書房、1985年)

上田 博『石川啄木歌集全歌鑑賞』(おうふう、2001年)

木股知史注釈「一握の砂」(『和歌文学大系 77』〈明治書院、2004年〉所収)

すぐれた先行研究は皆そうですが、大変参考になります。そして研究もまた皆そうですが、十分に踏まえさせてもらった時、研究者の研究結果は大抵の場合どの先行研究とも違ったものになります。これまでのわたくしの解釈はすべて4氏と異なりました。

今回は岩城之徳氏の解釈「真暗な穴に心が吸われてゆくように、ただただ疲れて私は眠るのである」が参考になり、基本的に継承させていただきました。なぜなら、氏のように解釈すると、この12、13ページの見開きが勤め人シリーズになることに気づいたのです。

これを含めた4首この視点で読みます。

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