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2009年3月 4日 (水)

燈影なき室に我あり

     

     燈影なき室に我あり

     父と母

     壁のなかより杖つきて出づ

<ルビ> 燈影=ほかげ。室=しつ。出づ=いづ。

<語意> 燈影=ここでは石油ランプの光。

<評釈> ランプの明かりも消した下宿の部屋にぼくはいる。と、父と母が杖をついて壁の中から自分の方に向かって歩いてくる。

「大海にむかひて一人」の歌の時にも書きましたが、1908年(明41)6月25日夜、前夜に引き続いて啄木に歌の奔流が起こりました。「頭がすつかり歌になつてゐる。何を見ても何を聞いても皆歌だ」(日記)という状態です。

風のごととらへがたなき少女子の心を射むとわれ弓をとる

で始まり、90首目近くでは

我は今のこる最後の一本の煙草を把りてつくづくと見る

を作ります。まさに「何を見ても何を聞いても皆歌」の状態です。

そして「父母のことを歌ふ歌約四十首、泣きながら」という状態にうつります(40首では「父母」の外に妻子のことも7首うたっており「父母妻子のこと」という方が正確)。その最初の歌が掲出歌です。

堰を切ったように父母妻子のことをうたい出したのは、長男・夫・父としての扶養義務をほとんど何も果たさず、苦労ばかりかけていることに重い自責の念を覚えているからです。啄木は今売れる小説を書いて父母妻子を養おうとしていますが、そういう小説は絶望的に書けません。(テキスト「解題」の「啄木略伝」参照) そのため歌の奔流がおこり、そのため自責の念に苦しめられるのです。上記「四十首」中に

津軽の海その南北と都とに別れて泣ける父と母と子

という歌がありますが、当時父一禎は青森県野辺地の寺で食べらせてもらっています。母は北海道函館で嫁節子・孫京子とともに宮崎郁雨の世話になっています。自分は東京で小説を書けなくて絶望的になっています。

そんな日々の東京本郷の下宿の一部屋に、明かりを消してひとり居ると幻想が浮かびます。津軽海峡をはさんで向き合う野辺地と函館に暮らす父と母が、ますます老いて杖をつき、長男の自分を頼って歩いてくるのです、壁の中から。

現代は年金・退職金や諸社会保障によって暮らす父母が多く、子どもは昔ほど父母の扶養に心を砕かずにすみます。しかし1800万人とも言われる非正規労働者をはじめ、現代の若い世代は自分たちの老後にたいへんな不安を抱えています。小泉自民党と財界によって日本経済の根底部分に穴を空けられたせいです。

非正規労働者1800万人の世代は、父母の老後と自分の老後の不安を同時に抱え込んでいます。啄木の自責の念と悲しみは姿を変えて迫って来るようです。

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コメント

この歌には啄木の家長としての自責の念を強く感じます。ほんとうに歌が湧き出た感じがわかる歌だと思います。現代は、父母が息子や娘を守らんと杖をついて出てくる時勢、若者の未来、われわれの未来、ともに不透明で怖いです。

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