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2009年3月19日 (木)

こみ合へる電車の隅に

     

     こみ合へる電車の隅に

     ちぢこまる

     ゆふべゆふべの我のいとしさ

<評釈> この頃(1910年頃)の東京の新光景ともいうべき通勤電車のラッシュ。その夕方の電車の隅に来る日も来る日も縮こまって乗っている自分の、愛すべき健気さよ。

この歌の初出は文芸短歌雑誌「創作」の1910年(明43)5月号。日本の産業革命が完了したのは1907年頃といわれます。産業革命期を通じて農村から地方から大量の人が賃金労働者(下級官吏、サラリーマンから職工まで)として大都市に移住してきました。

1910年は産業革命を終えた日本資本主義の全面的展開の開始期。都市生活者は増える一方です。

大都市東京には電車の交通網が整備されてゆきます。現代とちがって編成は組まず運転手と車掌が1両を動かす路面電車でしたが。

出勤・退勤時のラッシュが始まります。それは21世紀現在のラッシュアワーの始まりでもあります。始まった瞬間に啄木は歌にしたわけです。

「こみ合へる電車の隅」の9文字に含まれる意味の大きさを味わってください。

その隅に「ちぢこまる/ゆふべゆふべの我」を「天職」=歌人の啄木が見つめています。みつめられているのは、職業としての仕事をする自分です。自分の有する時間のうちの主要な部分を切り売りしてしか生きるすべのない存在つまり勤め人としての自分です。

「ゆふべゆふべ」のくり返しにサラリーマンの日常性が巧みに表現されています。

その「我」に詩人は「いとしさ」を感じます。「いとしさ」は愛すべき健気さ、といった意味でしょう。

こんだ電車の隅に毎晩ちぢこまって乗っている安月給取りの自分に「いとしさ」=愛すべきものを感じる啄木のまなざしは、そのまま働く人々すべてへのまなざしでもありました。

だから53ページの「はたらけど/はたらけど」のような名歌も生まれてきます。

12、13ページの見開き4首のうち3首はこうして、勤め人シリーズになっています。次回の「浅草の夜のにぎはひに」の歌はこのシリーズのしめくくりです。

近藤典彦著『啄木短歌に時代を読む』(吉川弘文館)は、啄木短歌が同時代をいかにみごとに映し出しているかを解説した本です。機会があったらご一読ください。

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