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2009年3月27日 (金)

なみだなみだ

     

     なみだなみだ

     不思議なるかな

     それをもて洗へば心戯けたくなれり

<ルビ> 戯け=おどけ。

<評釈> なみだなみだ、これは不思議だぞ。なみだで心を洗ってやると、心が悲しみを忘れ、戯けたくなるぞ。

「なみだ」は液体ですから、たしかにものを洗うことができるかも知れません。

しかし、液体で洗えるのは固体でしょう。「心」は固体でも液体でも気体でさえない非物質。なみだという液体で「心」という非物質を洗うとは、啄木以前に誰が発想したでしょう。

なみだは悲しみの心から湧いて来る。その涙を流しているうちに、悲しみの心が洗われて、戯けの心に変化する、なみだっていうのは不思議だなあ、というのです。

136ページ左の歌に「青に透くかなしみの玉」という表現があります。悲しい心を青に透く玉とすると、戯けの心は光の色・金色の玉としましょうか。青に透く玉を洗うと金色の玉に変えてしまうなみだは、さしずめ魔法の水です。

「東海の小島」の歌を絶賛した井上ひさしさんが、啄木はこの歌で日本語を「望遠レンズ」にしたと言いました(「解釈と鑑賞」2004年2月号)。このひそみに倣うなら、啄木は掲出歌で日本語を「魔法の水」にした、と言えましょうか。

「なみだ」や「泣く」が多いところから、啄木短歌はセンチメンタルだと、一部で言われましたが、どうしてどうして啄木はなみだの不思議の発見者、人間心理の犀利な観察者です。そして前回で書いたようにユーモリストでもあります。

なみだの歌でも、泣く歌でも歌の底の底からは、じんわりと生きる力が湧きだしています。

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