« 呆れたる母の言葉に | トップページ | わが髭の »

2009年3月31日 (火)

草に臥て

     

     草に臥て

     おもふことなし

     わが額に糞して鳥は空に遊べり

<ルビ> 臥て=ねて。額=ぬか。糞=ふん。

<評釈> 後にまわします。

「臥」という字は、「うつぶせに寝る」が原義のようですが、ここは「仰臥」でしょう。

この歌には2つの問題があり解釈は簡単ではありません。

1、「おもふことなし」の状態の所に、糞を落とされたのか。糞を落とされても「おもふことなし」なのか。

2、全くの空想歌か、案外現実味がある歌なのか。

1について。木股知史さんは後者ととります(味のある解釈です)。わたくしは2の問題とも絡めて、前者ととります。

2についてのわたくしの経験。

20数年前、ふたりの子どもを連れて多摩動物公園に行きました。ソフトクリームを食べさせていると、突如頭上で「ぎゃー」という声。頭に何かが落ちてきました。はっとしてさわると白い糞が指にべっとり。あわてて拭き取りました。のんびりしている余裕はありませんでした。

まもなく糞の落ちたあたりから髪が薄くなってきました。それから20数年。年金のことで地元の社会保険庁に向かって自転車をこいでいました。頭上でばさっと音がしたと思ったら、わが頭の上を軽く引っ掻いて大きな烏が目の前を飛び去り電線にとまりました。コンチクショウ。向こうは知らん顔です。以前学生から烏は「光りもの」が好きだといっていたのを思い出し、ひとり「納得」しました。

さて、成城大の学生18名に掲出歌についての感想を聞いたことがあります。意外にも3人の学生が歌と同様の経験があるというのです。たとえば信号待ちしていたら、肩に糞を落とされ、着替えに戻った、など。

<評釈> 草に寝ころがって、青く澄んだ空を見上げていると、心から雑念が消えた。突然鳥の糞がわが額に落ちてきた。現実に引き戻されて目をやると、糞をした鳥の方は無心に空を舞っているではないか。

日本人は昔から頭とか額を非常に大切な部位と考えてきました。そこに鳥は糞を落としたわけです。でも鳥にとってそれはどうでもいいこと、「空に遊べり」です。

この歌の心の動きを考えてみましょう。空を見ていて次第に消えて行く雑念(無心)→鳥の糞におどろく心→空に遊ぶ鳥の無心を感心して見上げる心。

ほんとうにあったことか、否かはともかく、人間の心の動きをあざやかに彫り込む詩人の「意識力」(草壁焔太)のすばらしさ。

« 呆れたる母の言葉に | トップページ | わが髭の »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/44518958

この記事へのトラックバック一覧です: 草に臥て:

« 呆れたる母の言葉に | トップページ | わが髭の »