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2009年3月 6日 (金)

たはむれに母を背負ひて

     たはむれに母を背負ひて

     そのあまり軽きに泣きて

     三歩あゆまず

<ルビ> 軽き=かろき。

<評釈> 母が年とって小さくなった現実・ひどく苦労をかけて来た事実から、目を背けて来たのだけれど、うっかりふざけて母をおぶったところ、そのあまりの軽さが私の背中に伝えた。母は老いた、痩せて小さくなった、ここに至るまでにどんなに苦労をかけたことか、いかに大きな恩愛を受けたことかと。一歩二歩、涙がこぼれてもう動けない。

この歌も「父母のことを歌ふ歌四十首、泣きながら」のうちの1首です。この歌の前にある2首を引いてみます。

我が母は今日も我より送るべき為替を待ちて門に立つらむ

母カツは虚弱だった幼い息子の健康を祈って好物の卵と鶏肉を生涯絶ったといいます。息子の健康と出世のためなら、できることはなんでもしました。しかし貧乏の度はひどくなるばかり。息子は息子で筆一本で稼いで、すぐに金を送るからと言って上京しましたが、書いた小説は金にならない。息子を信じる母は今日も郵便配達が為替を持ってきてくれるのを待って門口に待っているのだろうか、とうたうのです。

百二百さるはした金何かあるかくいふ我を信ずるや母

啄木の妹光子の話によると、啄木は「いつも大きな法螺を吹いて、今にも百万長者になってみせるかのようなことばかりいって(母を)なぐさめたり、なだめたりしているのであった」といいます。歌の「百二百」は百円二百円だから今の金でいうと「百万二百万」です。(1909年の「ローマ字日記」の頃までの)啄木は自分自身の言うことのどこまでがほんとでどこまでがホラか分からない人でした。都合のわるいことからは目をそむけ、夢ばっかりを追う青年でした

啄木は母が歳をとった、ずいぶん痩せてきた、身体が小さくなった、苦労をかけすぎた、等々と日ごろ感じていたはずです。ここからが当時の啄木です。現実から目を背けるのです。見えていても見ないのです。聞こえていても聞かないのです。母はいつまでも自分に尽くしてくれる、自分を存分に甘やかしてくれる、頼りになるずっしりとした存在だと思おうとするのです。

ところが、うっかりふざけて母をおんぶすると、啄木の「背中が」母の現実を「見て」しまいます。目を逸らせるも何もありません。「老いた母のあまりの軽さ」が母の今と、これまでに掛けてきた苦労と、はかりしれない恩愛とを一瞬にして知らせたのです。涙がこぼれ、一歩二歩歩いたまま動けなくなったのです。

人間には親との立場が逆転するときが必ず訪れます。扶養し、面倒をみてくれた親が、逆に面倒を見、介護し、あるいは扶養して上げるべき存在に突然変わるのです。わたくしも母との間が逆転した21歳の夏をはっきりと覚えています。

それにしても啄木の歌のなんと感覚的劇的衝撃的なことよ。

こうして8、9ページ見開きの母の歌が終わります。9ページをめくると・・・・・。

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コメント

この歌は、簡単そうでいながら、とても解釈しにくい歌だと思っています。私自身も母を背負う事の重苦しさを身をもって知っておりますので、20代の若さで母を背負わねばならなかった啄木が可哀相でなりませんでした。啄木の「背中が」母の現実を「見て」しまったと、肌感覚で解釈なさった先生は、21歳で逆転したというご自分とお母様にこの歌を重ねて見てらっしゃるのかなと思いました。啄木の魅力の一つは自分に啄木の歌を引き寄せて見られる事でしょうか。

今日ブログの歌は私が始めてそらんじた啄木短歌です。母が小柄でやせていたのでスーと心に響いたのかもしれません。啄木の苦悩など知らず、単純に老いて頼りない母を背負う自分を思い描いていました。深い思いが詰まったすごい歌ですね。一握の砂には納められなかった前後の母の歌紹介で、この歌のイメージが深まりました。最後の親と子の逆転についてのコメント、今の若者に読んでもらいたいです。覚悟はできていますかと問いたいです。

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