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2009年3月10日 (火)

わが泣くを少女等きかば その1

     わが泣くを少女等きかば

     病犬の

     月に吠ゆるに似たりといふらむ

<ルビ> 少女等=をとめら。病犬=やまいぬ。吠ゆる=ほゆる。

<評釈> 私の心の中の憤懣、悲しみをそのまま泣くという行為にうつしたならば、私の泣き声を少女等は、狂犬が月に向かって吠えているようだ、と言うことだろう。

さて、11ページ右の歌に移りました。「我を愛する歌」という章に、啄木は自分の「心の姿」を詠んだ歌々を編集していますが、その心の姿百態は、この歌から始まります。

ここまでの編集をふり返っておきましょう。

「東海の小島の」歌で啄木は歌人石川啄木の自己紹介と歌集の内容紹介をしました。啄木は『一握の砂』を編集するときこの歌を巻頭に据えることを最優先しました。これに合わせて第2番目に「頬につたふ」の歌を持ってきて、『一握の砂』の作者をいつまでも忘れないで、というメッセージを托しました。これが3ページ。

この3ページをめくったところからいきなり「心の姿」を歌い出すのではなしに、啄木は4ページに砂山=海辺関係の歌を配しました。そして7ページを「死ぬことをやめて」家に帰ってきたとしめくくり、8ページからは家庭の歌=母の歌をはじめます(4首)。10ページからは父の歌(2首)。

そしてこの11ページから「心の姿」百態の歌々をランダムに配してゆきます。ここからは、これまでのようにテーマによって歌々を組み立てることをあまりしません。われわれが日常心に思うことがとりとめもなく何でもあり、なのと同様に、心の姿も何でもありで配置されてゆきます。そのランダムの妙が見ものです。

解説にはいりましょう。「病犬」は「ヤマヒイヌ」の略「ヤマイヌ」で、狂犬のことです。「病犬」は舌を出し、よだれをたらし、何にでもかみつくおそろしい病気にかかった犬です。

狂犬は東南アジアの各国で今も問題になっていますが、日本にもかつてはいました。注意していると明治期の文学作品にいくらでも出て来ます。たとえば北原白秋の歌。

夏の日は病犬寝(いね)ておそろしきその門辺まで行きてかへりぬ

啄木は、今の自分が泣くとその声は狂犬が月に向かって吠えているように聞こえるだろう、とうたいます。どうして啄木の心はそんなにも激しく悶え、悲しんでいるのでしょう。

作歌が1910年(明43)10月半ばですから、当時の啄木の苦悩は推定できます。この年5月末明治天皇暗殺計画のとがで、幸徳秋水らの検挙が始まりました。大逆事件(幸徳秋水事件)です。

啄木はこの事件を根底から理解するために社会主義・無政府主義を精力的に研究します。そうして獲得した視座から、自分の生きている社会や時代を新たに考察します。そして「時代閉塞の現状」という有名な認識に到達します。

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