« わが泣くを少女等きかば その1 | トップページ | 何処やらむかすかに虫のなくごとき »

2009年3月11日 (水)

わが泣くを少女等きかば その2

     

     わが泣くを少女等きかば

     病犬の

     月に吠ゆるに似たりといふらむ

大逆事件は、幸徳秋水らの反戦・社会主義の運動への無理無体な弾圧に対する、反抗としておこりました。弾圧したのは時の政治権力=「強権」=天皇制国家でした。強権はかれらに、思想・集会結社・表現言論、出版その他の自由を一切許さなかったのです。

啄木はこの強権下の社会が経済的にも閉塞していると指摘します。当時はエリートだった大学の卒業生の半分は就職できないでいる、大学にゆけなかったその何十倍、何百倍の青年は、「其生涯の勤勉努力を以てしても」安月給しか取れない、と。

そして告発します。「我々青年を囲繞(いぜう)する空気は、今やもう少しも流動しなくなつた。強権の勢力は普(あまね)く国内に行亘(わた)つてゐる」と。

さらに呼びかけます。「斯くて今や我々青年は、此自滅の状態から脱出する為に、遂に其『敵』の存在を意識しなければならぬ時期に到達してゐるのである。・・・・我々は一斉に起つて先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。・・・・全精神を明日(みやうにち)の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならぬのである」と。

「時代に対する組織的考察」とは、時代の政治・経済などの仕組みの総体的・歴史的・科学的考察を意味すると思われます。

これを現代に当てはめると、自民党政治をはびこらせる社会構造・政治権力と財界との密接な関係・大企業の巨大な儲けと1800万人とも言われる非正規労働者(その家族)の貧困化・この残酷な貧困化における小泉政権の罪・反貧困の闘いの展望等々の考察もふくまれるでしょう。

さて、この知性と勇気と迫力に満ちた一編を発表する場はありませんでした。他方では検挙された大逆事件の被告達の苛酷な取調が極秘裏に進められていました。

強権と対決しようとして、その強大さに圧倒され、焦り、身もだえる啄木。自分の苦悩の様に「病犬の月に吠ゆる」様を連想したのでしょう。掲出歌ができました。

「月に吠ゆる」はシェークスピア「ジュリアス・シーザー」のから来ていると思われます。ブルータスのセリフです。「そんなローマ人になる位なら、むしろ犬になって月の吠えたほうがましだ」(坪内逍遙訳)  英語原文中の"bay the moon"は成句になっていて、「無駄な不平を言う」という意味もあります。

(啄木の)「心の姿」=「我」をうたった歌です。

少女・月・シェークスピアと病犬・大逆事件・時代閉塞の現状がセットになったこの歌は深刻な内容を含みながら、しゃれた、モダーンな、絵のような歌にもなっています。うんと苦しい心境の時この歌をくちずさむと、かえって安らぎが生まれる様な気がします。

啄木と同年(1886年)生まれの萩原朔太郎は熱い啄木ファンでした。のちにその第一詩集(口語自由詩の金字塔)に『月に吠える』と名づけます。

« わが泣くを少女等きかば その1 | トップページ | 何処やらむかすかに虫のなくごとき »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/44311043

この記事へのトラックバック一覧です: わが泣くを少女等きかば その2:

« わが泣くを少女等きかば その1 | トップページ | 何処やらむかすかに虫のなくごとき »