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2009年3月 9日 (月)

ふるさとの父の咳する度に斯く

     

     ふるさとの父の咳する度に斯く

     咳の出づるや

     病めばはかなし

<ルビ> 咳=せき。斯く=かく。

<評釈> ふるさとの老いた父が咳をするたびに、東京にいるぼくに伝わってこうしてぼくも咳をするのだろうか。父の助けを得られない旅の空で病気になると、心細くてたまらない。

父がふるさと(つまり渋民村の宝徳寺)にいる、啄木が旅の空で病気になる、この二つの条件を満たす時期は前回にみた第1回上京時で、しかも1903年(明36)2月しかありません。

この年の1月下旬、下宿代を払わない啄木は着の身着のままで追い出されます。寒空の下で文字通りのホームレスとなります。2、3日後どうやって見つけたのか、見も知らぬ佐山という人の安下宿に20日ほど置いてもらうことになります。もちろん食事はなし。紋付きを質屋に入れたりして金を作り、一膳飯屋とよばれるドヤ街の食堂で1日に1度か2度食いつないでいました。

満17歳になったかならぬかの頃で、今でいうと髙校2年生です。自殺をなんども考えたようです。2月の下旬でしょうか、とうとう病気になります。心身ともにやられました。

掲出歌はそのようなときの記憶をうたったものと考えられます。

負け嫌いの啄木はおめおめと帰郷するわけには行きません。老いた父が全現金収入を息子につぎ込だことを知っているので、父に援助を申し出ることはできません。でもここまで落ちてしまって思い浮かぶのは老父の助けだけです。父母もその頃音信の絶えた息子を死ぬほど心配していました。その父と子の思いをつなぐかのように・・・・咳が。

ふと咳がでたときその咳がふるさとの父の咳に似ていると思います。この咳は父が今した咳だろうか。父との絆を無意識に求めた啄木は病気の身体を横たえて(どこで?→不明。 布団は?食事は?→おそらく無い)、死んでしまいそうな心細さを感じています(病めばはかなし)。

昨年末派遣切りにあった労働者が、寮を追い出され、故郷に今さら帰るわけにも行かないし、と寒空の下で語るのをテレビで聞きました。100年を隔てて、事情こそ違え、数知れぬ啄木が突如出現したかのようでした。

きょう(3/9)の朝日新聞34面に河合真帆記者の記事が載っています。ホームレス歌人・公田耕一さんのことが書かれていました。かなり年輩の方のようですが、氏のつぎの歌も引かれていました。

胸を病み医療保護受けドヤ街の柩(ひつぎ)のやうな一室に居る。

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コメント

咳は不思議な程、親に似るものです。私も咳をする度に、今の咳は親とそっくりだと思います。啄木もやはり父親と同じような咳をしたのでしょう。もしかするとこの歌を詠んでいる時にも、ふと咳が出たかも知れませんね。

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