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2009年4月

2009年4月29日 (水)

怒る時   その2

1912年(明45)1月啄木は不治の病の末期にありました。一家の貧窮を少しでも緩和しようと、原稿料をもらい「学生」という雑誌に文章を書きました。それが4編からなるエッセー「病室より」です。ここに引用するのはその中の最後の1編「破壊」の後半です。啄木が読者を想定して書いたつまり活字にするつもりで書いた最後の文章の最後の部分です。

「破壊」の前半はこうです。犬に追われた猫が啄木の家に逃げ帰り、台所の棚に飛び乗って皿や鉢を落とし、すさまじい音をたてます。その音におどろき緊張した自分の感想を記します。

続きが以下に引いた部分です。まず啄木自身の「破壊の快感」の例をご覧下さい。ついで「破壊の快感」から連想していった啄木の内面をお読みください。「九百九十九割りて死なまし」とうたった1908年(明41)から3年半後、啄木は垂死の床にありながら社会変革の必要を信じる思想家になっていました。しかも病魔に冒され、無念、どうしようもない窮状。その人の内面です。

すると、不図(ふと)、先刻のやうな音をもう一度聞きたいといふ願ひが私の心に湧いて来た。物を壊す音の快さ、物を壊す心持の快さといふ事が、何日も何日も降りつづいた後の日光のやうな新鮮を以て頭脳の中に沁み渡つた。三つも四つもの例が直ぐと思ひ合された。その中でも、殊にもう七八年も前に、まだ栓を抜かない麦酒の壜を縁側から庭石に叩きつけた時の事が、はつきりと思ひ出された。麦酒は不意に加へられた強大な圧力の為めに爆発して、ドンともダンとも聞き分け難い、強く短い音響と共に、庭一面をサツト白く見せて散つた。さうしてその後からシユウといふ泡の消える爽かな音が立つた。その時ほどの爽快を私はその後感じた事があるだらうか?

 破壊! 破壊! かう私は、これから雪合戦でも始めやうといふ少年のやうな気持になつて、心の中で叫んだ。

 しかし、何分かの後には、私は起しに来る妻や子にもろくろく返事さへせずに、仰向に寝たまま、唇を結び、眼球の痛くなるほど強く上眼をつかつて、いつもの苦しい闘ひを頭脳の中で闘はせてゐなければならなかつた。破壊! 自分の周囲の一切の因襲と習慣との破壊! 私がこれを企ててからもう何年になるだらう。全く何も彼も破壊して、自分自身の新しい生活を始めよう! この決心を私はもう何度繰返しただらうか。しかし、藻掻(もが)けば藻掻くほど、足掻(あが)けば足掻くほど、私の足は次第々々に深く泥の中に入つたのだつた。さうして今では、もう兎(と)ても浮み上る事が出来ないと自分でも思ふほど、深く深くその中に沈んでしまつたのだつた。それでゐて、私はまだ自分の爽快な企てを全く思ひ切る事も出来ずにゐるのだつた。

 たうとう私は、他の一切のものを破壊する代りに、病み衰へた自分の躯をひと思ひに破壊する事にまで考へ及んだ。私の苦しい考へ事はいつでも其処へ来て結末になる。私はいつもの通りの浮かぬ顔をして、もぞくさと床を這ひ出した。

                    (明治四十五年一月十九日稿)

2009年4月28日 (火)

怒る時  その1

     

     怒る時

     かならずひとつ鉢を割り

     九百九十九割りて死なまし

<ルビ> 九百九十九=くひゃくくじふく。

<語意> 鉢=皿よりは深くすぼみ、碗(わん)よりは浅く開き、食物・水などを入れる容器。 まし=~たらよいのに。

<解釈> 腹が立ってかっかするたびに、鉢を持ち出しては堅い物にたたきつけて、ガシャーンと壊してしまい、ついには九九九個割ったところで死ねたらよいのに。

腹が立ってどうしようもない時、人には物に当たりたい心が生じます(人に当たりたくなるタイプもあります)。啄木は物に当たりたくなるタイプだったようです。

陶磁器を落として割った時でさえ、「しまった!」「もったいない!」「大変だ!」といった意識に付随して、一瞬ですが割れる音・飛び散る破片に一種の快感も感じます。

まして意識してたたき割った時の快感には「怒り」をも吹き飛ばしてくれる作用があります。

啄木がここでうたったのは「怒り」→「物に当たりたくなる心」→「陶磁器が壊れる際に生じる刹那の快感」の追求、という複合心理です。

「九百九十九割りて」はその心理を心ゆくばかり経験して。

「死なまし」の「まし」は願っても実現しそうにないことを希望する意を表します。この「まし」だからいいのです。「まし」だから九谷焼、伊万里焼、備前焼、越前焼、景徳鎮の青磁・白磁、高麗青磁等々の鉢を考えたっていいのです。腹が立ってかっかするたびに、それらのどれかを取りだしてガチャーン、バシーンと。それを心ゆくまで経験したところで死ねたらいいだろうな。

啄木は上にのべた複合心理をこういう機知に富んだ歌にしたわけですが、この歌の功績は「破壊の快感」を意識し取りだし表現した点にあると言えましょう。こんな意識が短歌になろうとは!

「破壊の快感」についてぜひ読んでいただきたい啄木の文章があります。明日紹介します。

2009年4月24日 (金)

何処やらに沢山の人があらそひて

     

     何処やらに沢山の人があらそひて

     鬮引くごとし

     われも引きたし

<ルビ> 何処=どこ。鬮=くじ。

<解釈> どこかで、たくさんの人たちが押し合い圧(へ)し合いしてくじ引きをしているようだ。もしそうだとすると、その人たちはくじ引きの情報を知っていたのに、自分だけは知らなかったことになる。そんなくじがあるのなら自分も引きたい。

「沢山の人があらそ」うくじ引きですから、富くじと考えてみましょう。

富くじを争って引こうとするのは不遇の現状にある人たちです。その人たちは万に一ついや億に一つの幸運を引き当てるべく争っています。

詩人は自分の気の迷いかも知れないその情報を知らなかった、と疎外感を覚えます。そして勃然と自分もその場に加わり、くじを引きたいと思います。

つまり詩人自身が不遇にあるのです。しかも幸運をつかむ情報からも疎外されています。その境遇を抜け出すために、幸運を引き当てたいと思う、当てられないに決まっているのに。

この歌は不遇の人間の、一縷(る)の望みにすがる心をうたったものとわたくしは解します。

ジャンボ宝くじ、これを買う心は歌と近すぎますが、ともあれ当たらないことは分かっているのに人は買います。何処やらに、当たった人がいるとの情報を、一縷の望みとして。

あるいは派遣社員の方が、安定した一流企業の正社員になった実話を聞いて、一縷の希望を抱くとしたら、これも「われも引きたし」の心ではないでしょうか。

掲出歌は、不遇の人の疎外感と一縷の望みをみごとに表現した、傑作であると思います。

2009年4月23日 (木)

高山のいただきに登り

     

     高山のいただきに登り

     なにがなしに帽子をふりて

     下り来しかな

<ルビ> 高山=たかやま。下り来し=くだりきし。

<解釈> 高い山の頂上に登り、折角登ったのに、何というわけもなく下界に向かって帽子を振っただけで、下ってきたのだった。おかしな心のあり方よ。

ひどく簡単に見えてひどくむずかしい歌です。何をうたった歌なのか、このブログ中断中の10日間考えました。

「高山」は文字通り高い山。となると思う浮かぶのは啄木16歳の時の歌です。

岩を踏みて天の装ひ地のひびき朝の光の陸奥(ミチノク)を見る。(岩手山に登る)

「高山」には岩手山のイメージがこめられていると思われます。

国文学者・歌人折口信夫はこの歌を非常に高く買っていてこう述べています。

・・・・若い人の山登りには、別に目的はない。だから登つて、そのまま下つて来るのが当然なのだ。しかし、かういふ風に、啄木が言つてみると、何か相当な問題に触れたやうな気がする。・・・・つまり啄木が、新しい発見をしたのだ、心の底にひそんでゐる微動を捉へることができたのだと、おどろいたものだ。

折口はこの歌に「心の底にひそんでゐる微動」を見ているわけです。どんな「微動」を? これがまた分かりにくい。啄木のここ一連の歌の流れから言えば「心」をうたってきているわけですから、折口の評釈はきわめて魅力的です。

以下にわたくしの評釈を記します。

人は息を弾ませ、汗を流して山道を登ります、頂上をめざして。頂上に着くと、到達の喜びや絶景を眺め、にぎりめしを頬ばる等の喜びがあります。しかし他方で山道を下りなければならない事実が厳然としてあります。一面では頂上は通過点でしかないのです。そう思った時頭の中をよぎる「あっけなさ」の感じ、これを啄木は「訳もなく帽子を振る」という行為で表現したのだと、思います。

4月17日(日本時間)、イチローは張本勳の日本最多安打記録を抜いて、日米通算3068本を記録しました。その時のイチローの談話につぎのようにありました。

単純に、張本さんが頂から見ていた景色がどんなものかを感じてみたかった。今日、あのヒットで頂に登ったんですが、すごく晴れやかで、いい景色だった。すばらしいものでした。

この時のイチローにはもう一つの心が動いていたはずです。この頂はつぎのヒット、つぎの記録への通過点でしかない、という心が。

啄木がうたったのはこの心の方で、折口が「心の底にひそんでゐる微動」と言ったものではないかと思います。ここでページがめくられ、20ページに行きます。

わたくしの参考文献を追加します。『日本の詩歌 5 石川啄木』(中央公論社、1967年)の山本健吉の「鑑賞」です。

2009年4月21日 (火)

ブログを再開します

4月12日に本ブログを中断し、ホームページ「石川啄木著『一握の砂』を読む 近藤典彦」の開設に取りくみました。3つのサブページ「『一握の砂』全歌評釈」「『一握の砂』アルバム」「啄木に関するメモ」があります。どのページも未完でありますが、公開します。このブログの右サイドバーのマイリスト「石川啄木著『一握の砂』を読む 近藤典彦」」をクリックしてみてください。

このブログは明日22日に再開します。 

                    2009年4月21日    近藤典彦

2009年4月12日 (日)

短期間ブログ中断のお知らせ

ブログ「『一握の砂』を朝日文庫で読む」も39回を数えました。今日が40回目になるところですが、中断して新ホームページ開設に取り組み、このブログと組み合わせようと思い立ちました。

ブログ形式だと、初めから鑑賞したいと思うと、バックナンバーをさかのぼり、上から下へ、上から下への読みを何十回(やがては何百回も)くり返さなくてはなりません。

そこで、新HPを開設しブログの記事をスムースに最初から読める形も作りたいと思うのです。さらに欲ばって写真や啄木年譜等のカテゴリーも設定したいと思います。

今回啄木短歌評釈を始めて、啄木短歌の奥深さ、すごさを新しいレベルで実感しています。やさしくて解説のしようがないと思っていたどの1首の解釈にも――別に「石川啄木伝」の執筆もありますので――2日はかかっています。

その上に初めてのHP開設作業が重なるとパンクは必定。中断のやむなきに至りました。

中断期間がどのくらいになるかは見当がつきません。ブログの場合は半月と思ったのに、2日で出来ました。今度はほんとうに半月かかるような予感を覚えます。1週間くらいで出来るといいのですが。

ではしばしの中断に入ります。これまでのご訪問に感謝しつつ、近藤典彦

2009年4月11日 (土)

ふと深き怖れを覚え

     

     ふと深き怖れを覚え

     ぢつとして

     やがて静かに臍をまさぐる

<ルビ> 臍=ほそ。

<語意> 臍=ほそ=へそ。まさぐる=いじる。

<評釈> 自分の存在の確かさは自分の心の確かさである、と少年の日から信じてきたが、その心が思いがけない変化をしてしまうものであると、最近知った。とすると心すなわち自分には中心にすべきものが無いことになる。そのことをじっと考えていると、わが手は自然に身体の中心である臍をまさぐっている。

なんの注釈もいらないと思って50数年間読んできた歌ですが、いざ向き合うとかなりむずかしかったです。

まず「深き怖れ」がわからない。さらに「怖れ」と「臍」のつながりがわからない。まる2日考えました。以下を根拠に上のように解釈しました。

1908年(明41)6月26日こんな歌を作っています(ここには「明星」7月号初出の形を載せます)。

ふと深き怖れおぼえてこの日われ泣かず笑はず窓を開かず

この怖れは、家の外身体の外から入り込んでくる邪鬼(たたりをする神)のようなものに対する怖れをイメージしていると思われます。

同じ年の8月8日~9日ではこんな歌に変わっています。

ふと深き怖れおぼえぬ昨日までひとり泣きにし我が今日を見て

この怖れは、思いがけない変化をする自分の心そのものへの怖れと思われます。「思いがけない心」は夏目漱石の小説の重要なモチーフです。大金や地位や美男美女等々を目の前にすると、ふだんは思っても見なかった心の生じるのが人間です。

掲出歌の「怖れ」は後者の怖れと思われます。啄木は自分を信じることの非常に厚い人間ですが、その「自分」とは自分の「心」を意味しています。つまり啄木は確実なはずの「自分」(=自分の心)という存在が実はまことに頼りない存在であることを自覚した時「怖れ」を抱いたのでしょう。

自分という人間の中心は何なんだ? こう考えた時手は自然に身体の中心=臍に向かったのだと思われます。

この年4月末に上京した啄木は半月後、植木貞子という魅力的な旧知の若い女性と肉体関係に入ります。貞子は朝6時半頃に啄木の枕元にやって来るようにさえなります。そうした啄木を罰するかのように函館に置いてきた満1歳半の京子が重病との知らせが入ります。愛児瀕死、必死で看護する妻の手紙、貞子との深い関係に陥っている自分。ここに至った自分の思いがけない心の動き。こうしたことが背景にあるようです。

2009年4月 8日 (水)

まれにある

     まれにある

     この平なる心には

     時計の鳴るもおもしろく聴く

<ルビ> 平=たひら。

<語意> 平なる=安らいだ。時計の鳴る=時計が時間を刻む音。昔の時計はゼンマイ式でカチカチカチ(目覚まし時計)とかカッチンカッチンカッチン(柱時計)と時を刻む音をさせていた。

<評釈> まれに生じるこの安らいだ心の場合には、日ごろは私を急(せ)き立ていらいらさせる時計の音も、おもしろく聴けるのである。

上田博氏の鑑賞を引かせていただきます。

歌集名と同じエッセイ「一握の砂」(明40・9)にシェークスピアの言として「予は時を浪費せり、今や時、予を浪費せむとす」を引いて、時間に脅迫される心の焦燥を告白している。時間は近代に入って時計の時間に矮小化され、時間は人間の外側にあって、人間を疎外する。 

稀に訪れてきた「平なる心」によって、自分を急き立てる時間を向こうに押し遣って眺めてみれば、時を刻む音も<音>として面白く聴かれるのである。

まことに行き届いた鑑賞です。

われわれは職場でも学校でも家でも時間に追われます。一番やすらぐ家にいてさえ、テレビのあの番組は何時からだとか、そのつぎは何を観るのだとか、誰に何時に電話するのだったとか、ひっきりなしに時間から時間へ渡り歩きます。いや、走っていると言った方が適切でしょう。

啄木が稀に訪れた心の状態を意識しつかまえたその意識力に感心すると同時に、われわれもまた安らぎの時を大切に意識したいものです。

この歌は1910年(明43)3月のものです。前年秋に大変身した啄木は、この3月から4月にかけて啄木調短歌を創始します。

木股知史氏はこの歌について「何げないが、瞬間訪れる心の平穏は、明治四十三年春の啄木の歌境が発見したのものである」と言っておられます。

テキストの18ページで見ると、右に置かれた死ぬか生きるかの「止せ止せ問答」とは対照的な安らいだ心の歌が左に配置されていることになります。

わたくしが常時参照している岩城之徳・今井泰子・上田博・木股知史各氏の出典は3月15日の「いと暗き」のページに挙げてあります。

2009年4月 6日 (月)

「さばかりの事に死ぬるや」

     「さばかりの事に死ぬるや」

     「さばかりの事に生くるや」

     止せ止せ問答

<語意> さばかり=それだけ。

<評釈> 「そんなつまらない事で死ぬのか。いや生きていよう。」「そんなつまらない事のために生きているのか。いや死のう。」 ある日のぼくの心が繰り広げる、はてしなき止せ止せ問答。

初出が「スバル」1909年(明42)5月号の「莫復問」ですからローマ字日記時代のもの(おそらく4月22日か23日の作)。小説が書けない、金が無い、老母妻子が上京すると言ってきた。以下はその追いつめられた苦しみの中で記した4月16日の日記です。

泣きたい! 真に泣きたい! 「断然文学を止めよう。」と一人で言ってみた。「止めて、どうする? 何をする?」 「Death(死)」と答えるほかはないのだ。実際予は何をすればよいのだ? 予のすることは何かあるのだろうか? 

いっそ田舎の新聞へでも行こうか! しかし行ったとてやはり家族を呼ぶ金は容易に出来そうもない。そんなら、予の第一の問題は家族のことか? 

とにかく問題は一つだ。いかにして生活の責任の重さを感じないようになろうか?――これだ。

金を自分が持つか、然らずんば、責任を解除してもらうか、二つに一つ。

おそらく、予は死ぬまでこの問題をしょって行かねばならぬだろう! とにかく寝てから考えよう。(夜一時。)

こうした心の姿を32文字に圧縮したのが掲出歌と思われます。

啄木は短い人生のうちに、生きるか死ぬかの悩みを幾度となく経験しました。もっとも深く激しかったのがローマ字日記の時代。これもその1つです。

最後の1文をもう1度ご覧ください。「とにかく寝てから考えよう」でむすばれています。なんとなくユーモラスです。これが石川啄木です。

かれは自己を信じることの厚く、他人を信じることの厚い人間でした。だから止せ止せ問答の結果は決まって「生きる」です。

2009年4月 5日 (日)

大木の幹に耳あて

     

     大木の幹に耳あて

     小半日

     堅き皮をばむしりてありき

<語意> 小半日=ほとんど半日。

<評釈> 後ろにまわします。

啄木はこの歌がよほど気に入ったと見えて、雑誌「スバル」に2回も載せた外、国民新聞にも、短歌雑誌「創作」にも載せました。

作ったのは1909年(明42)1月で、3、4、5句が「小半時何も思はでありしをかしさ」となっています。同じ箇所の4、5句は最初「ありける日ある森に来てみぬ」でしたが抹消されています。

「大木」は森の中の大木と考えるべきでしょう。

なんのためにその大木の「幹に耳あて」ているのか。宮沢賢治は木が水を吸い上げる音を聴いていたと、何かで読んだことがありますが、この歌の作者はそうでもなさそうです。木からなにか聞いてみたいが木は何も答えてくれないようです。

「小半日」は『一握の砂』以前はすべて「小半時(こはんどき)=小一時間」(「小晌時(こはんどき)が1箇所)です。

「むしる」は「つかんで引き抜き取る」意で、「毛をむしる」「綿をむしる」のように使います。

「むしりてありき」とありますが、指や爪で大木の堅い皮をむしることは不可能です。実際には指先で木の皮を軽く引っ掻くような仕草を続けたということでしょう。

耳は何も聞かず、眼も指先を見るだけ、指も無益な動きをしているだけ、つまり何にもしていないに等しい、ということになります。

つれづれのあまり、極度につまらないことしかしなくなる、そういう人間の心理をうたった歌ということになります。

啄木はこの歌を『一握の砂』に収める時に「一時間近く」を「半日近く」にあらためました。つれづれなるままに、極度につまらないことを延々と小半日もやった、と変えたわけです。

17ページ右の歌では「森の奥」で誰かが自殺したとうたい、左の歌では自分が森の中でつまらなーい事をしていたとうたいます。対象の妙となっています。

<評釈> ぼくはある日森の中に行き、大木の幹に耳をあて、ほとんど半日の間堅い木の皮を指でいじりながら、ぼんやりと過ごした。森の中でピストル自殺した人もあるのだが。

2009年4月 3日 (金)

森の奥より銃声聞ゆ

     

     森の奥より銃声聞ゆ

     あはれあはれ

     自ら死ぬる音のよろしさ

<評釈> 森の奥から一発の銃声。誰かが自殺したにちがいない。ああ、あの短く乾いた音の、なんとわが願望の自殺にぴったりなこと。

テレビのドキュメンタリー番組の1場面で熊を撃つ銃声を聞いたとき、それは短くて、乾いていて、ドラマの中で聞く擬音とは趣のちがうものでした。

啄木はあの音をどこかで聞いたことがあるにちがいないが、どこでだろう。この歌をつくった時期は前回の歌と同じ1909年(明42)4月ですから、蓋平館に下宿しています。蓋平館は現在の住居表示では文京区本郷6-10-12、谷の向こうに砲兵工廠がありました。そこは小銃生産を主とする大兵器工場です。

遙かの砲兵工廠では、試験射撃の銃声が絶間なく響いてゐる

と09年3月2日の宮崎郁雨あて書簡にもあるように、啄木は本物の銃声をよく聞いていたのです。

そして、ある時のある銃声がこの歌のヒントになったのでしょう。砲兵工廠からの銃声は森の奥からの銃声に、試験のための銃声は自殺の時の一発の銃声に変わったものと思われます。

啄木くらい自殺から遠い人はめずらしいのですが、啄木くらい自殺に誘惑された人もめずらしいといえます。自殺するにはあまりに自己を愛していました。しかしあまりに高きを望みました。だから幾度も大地に叩きつけられました。そんな時精神安定剤代わりに自殺を考えました。

そんな自殺願望によって誘発された幻想の歌です。

本気で自殺したいなんてうたわれては、気が重くなりますが、短く乾いた一発の銃声が、「願望の自殺」にふさわしいなどとうたわれると、読み手もなんだかそんな気になってしまいます。そして「自殺」に伴うまがまがしいイメージが遠のいて行きます。

つぎはこの見開き最後の歌です。

2009年4月 1日 (水)

わが髭の

     

     わが髭の

     下向く癖がいきどほろし

     このごろ憎き男に似たれば

<ルビ> 髭=ひげ。

<語意> いきどほろし=腹立たしい。

<評釈> この髭の下を向く癖の腹立たしいったらない。このごろ憎らしいと思っている男の髭の癖とそっくりなのだもの。

1909年(明42)4月11日、与謝野寛・晶子夫妻の家で歌会がありました。ローマ字日記にこう書いています。

予はこの頃真面目に歌などつくる気になれないから、相変らずへなぶってやった。その二つ三つ。

として掲出歌や以下のような歌を計9首記しています(もちろんローマ字で)。

ククと鳴る鳴革(なりかわ)いれし靴はけば、蛙をふむに似て気味わろし。

君が眼は万年筆(ぴつ)の仕掛にや、絶えず涙を流していたもう。

こんな風にふざけた歌をつくることを「へなぶる」と言います。

さて、掲出歌ですが、「髭」は口の上のひげ。テキスト233ページ左に

いつしかに/情をいつはること知りぬ/髭を立てしもその頃なりけむ

という歌があります(作歌09年1月)。08年に上京してからのある時期髭を生やしたのでしょう。

ローマ字日記の時期は、小説は書けない、家族は函館から上京するという、金はなんにもない、下宿代の催促は急、といった日々でイライラの種にかこまれていました。

そのイライラが髭の先という瑣末な部分の瑣末な癖に向けられています。それも「このごろ憎き男」の髭に似ているという理由で腹を立てています。

「草に臥て」の歌が無心を軸にうたわれたのと対照的に、ここではいらだつ心がうたわれています。

時として、またある時期に、誰にでも生じるいらだつつ心、それを誰もが似た経験ならもっている身体上の問題を通して、若干ユーモラスに描いています。

啄木は、自分のいきどおろしさをうたう場合にも、その自分を楽しそうに見ているような、そんな余裕を感じさせます。だから読者はイライラの歌を読んでもイライラしないで、作者と一緒になってなんだか楽しんでしまいます。

啄木短歌の大効用の1つは慰藉でしょう。

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