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2009年4月 3日 (金)

森の奥より銃声聞ゆ

     

     森の奥より銃声聞ゆ

     あはれあはれ

     自ら死ぬる音のよろしさ

<評釈> 森の奥から一発の銃声。誰かが自殺したにちがいない。ああ、あの短く乾いた音の、なんとわが願望の自殺にぴったりなこと。

テレビのドキュメンタリー番組の1場面で熊を撃つ銃声を聞いたとき、それは短くて、乾いていて、ドラマの中で聞く擬音とは趣のちがうものでした。

啄木はあの音をどこかで聞いたことがあるにちがいないが、どこでだろう。この歌をつくった時期は前回の歌と同じ1909年(明42)4月ですから、蓋平館に下宿しています。蓋平館は現在の住居表示では文京区本郷6-10-12、谷の向こうに砲兵工廠がありました。そこは小銃生産を主とする大兵器工場です。

遙かの砲兵工廠では、試験射撃の銃声が絶間なく響いてゐる

と09年3月2日の宮崎郁雨あて書簡にもあるように、啄木は本物の銃声をよく聞いていたのです。

そして、ある時のある銃声がこの歌のヒントになったのでしょう。砲兵工廠からの銃声は森の奥からの銃声に、試験のための銃声は自殺の時の一発の銃声に変わったものと思われます。

啄木くらい自殺から遠い人はめずらしいのですが、啄木くらい自殺に誘惑された人もめずらしいといえます。自殺するにはあまりに自己を愛していました。しかしあまりに高きを望みました。だから幾度も大地に叩きつけられました。そんな時精神安定剤代わりに自殺を考えました。

そんな自殺願望によって誘発された幻想の歌です。

本気で自殺したいなんてうたわれては、気が重くなりますが、短く乾いた一発の銃声が、「願望の自殺」にふさわしいなどとうたわれると、読み手もなんだかそんな気になってしまいます。そして「自殺」に伴うまがまがしいイメージが遠のいて行きます。

つぎはこの見開き最後の歌です。

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