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2009年4月 1日 (水)

わが髭の

     

     わが髭の

     下向く癖がいきどほろし

     このごろ憎き男に似たれば

<ルビ> 髭=ひげ。

<語意> いきどほろし=腹立たしい。

<評釈> この髭の下を向く癖の腹立たしいったらない。このごろ憎らしいと思っている男の髭の癖とそっくりなのだもの。

1909年(明42)4月11日、与謝野寛・晶子夫妻の家で歌会がありました。ローマ字日記にこう書いています。

予はこの頃真面目に歌などつくる気になれないから、相変らずへなぶってやった。その二つ三つ。

として掲出歌や以下のような歌を計9首記しています(もちろんローマ字で)。

ククと鳴る鳴革(なりかわ)いれし靴はけば、蛙をふむに似て気味わろし。

君が眼は万年筆(ぴつ)の仕掛にや、絶えず涙を流していたもう。

こんな風にふざけた歌をつくることを「へなぶる」と言います。

さて、掲出歌ですが、「髭」は口の上のひげ。テキスト233ページ左に

いつしかに/情をいつはること知りぬ/髭を立てしもその頃なりけむ

という歌があります(作歌09年1月)。08年に上京してからのある時期髭を生やしたのでしょう。

ローマ字日記の時期は、小説は書けない、家族は函館から上京するという、金はなんにもない、下宿代の催促は急、といった日々でイライラの種にかこまれていました。

そのイライラが髭の先という瑣末な部分の瑣末な癖に向けられています。それも「このごろ憎き男」の髭に似ているという理由で腹を立てています。

「草に臥て」の歌が無心を軸にうたわれたのと対照的に、ここではいらだつ心がうたわれています。

時として、またある時期に、誰にでも生じるいらだつつ心、それを誰もが似た経験ならもっている身体上の問題を通して、若干ユーモラスに描いています。

啄木は、自分のいきどおろしさをうたう場合にも、その自分を楽しそうに見ているような、そんな余裕を感じさせます。だから読者はイライラの歌を読んでもイライラしないで、作者と一緒になってなんだか楽しんでしまいます。

啄木短歌の大効用の1つは慰藉でしょう。

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