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2009年4月28日 (火)

怒る時  その1

     

     怒る時

     かならずひとつ鉢を割り

     九百九十九割りて死なまし

<ルビ> 九百九十九=くひゃくくじふく。

<語意> 鉢=皿よりは深くすぼみ、碗(わん)よりは浅く開き、食物・水などを入れる容器。 まし=~たらよいのに。

<解釈> 腹が立ってかっかするたびに、鉢を持ち出しては堅い物にたたきつけて、ガシャーンと壊してしまい、ついには九九九個割ったところで死ねたらよいのに。

腹が立ってどうしようもない時、人には物に当たりたい心が生じます(人に当たりたくなるタイプもあります)。啄木は物に当たりたくなるタイプだったようです。

陶磁器を落として割った時でさえ、「しまった!」「もったいない!」「大変だ!」といった意識に付随して、一瞬ですが割れる音・飛び散る破片に一種の快感も感じます。

まして意識してたたき割った時の快感には「怒り」をも吹き飛ばしてくれる作用があります。

啄木がここでうたったのは「怒り」→「物に当たりたくなる心」→「陶磁器が壊れる際に生じる刹那の快感」の追求、という複合心理です。

「九百九十九割りて」はその心理を心ゆくばかり経験して。

「死なまし」の「まし」は願っても実現しそうにないことを希望する意を表します。この「まし」だからいいのです。「まし」だから九谷焼、伊万里焼、備前焼、越前焼、景徳鎮の青磁・白磁、高麗青磁等々の鉢を考えたっていいのです。腹が立ってかっかするたびに、それらのどれかを取りだしてガチャーン、バシーンと。それを心ゆくまで経験したところで死ねたらいいだろうな。

啄木は上にのべた複合心理をこういう機知に富んだ歌にしたわけですが、この歌の功績は「破壊の快感」を意識し取りだし表現した点にあると言えましょう。こんな意識が短歌になろうとは!

「破壊の快感」についてぜひ読んでいただきたい啄木の文章があります。明日紹介します。

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