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2009年5月23日 (土)

腕拱みて

     腕みて

     このごろ思ふ

     大いなる敵目の前に躍り出でよと

<ルビ> みて=くみて。

<解釈> このごろ腕みをしてよく思う。大いなる敵が目の前に躍り出て、おれに闘いを挑んで来ないかなあ、と。そうしたら闘っている間中は最大の悩み事から解放されるのに。

先に長くむずかしい評釈を書いた24ページ右の「かなしきは飽くなき利己」の歌と同じ1910年(明43)4月の作と見なされます。そして掲出歌は25ページ左に置かれています。両歌は対になっているようです。

当時の啄木の悩みは「かなしきは飽くなき」の歌のところで見たように、天皇制国家権力との闘いに進み出るべきだと思うけれど、どうしても自分可愛さのために怖くてそれができない、というものでした。

そこで何をやったかというとこれも「硝子窓」に書かれているのですが、仕事の忙しさに気を紛らわせることでした。そして忙しさが一段落するとまたいやな問題を考えなくてはならなくなって、うろたえるのです。

「大いなる敵」よ出てこい(!)と考えるのも、それがもし出て来たらそれと闘っている間は気が紛れるのだがなあ、というのです。

「拱みて」の「」という字も意味深長です。「こまぬく」と訓みます。「=こまぬく」には腕を組む、の外に何もしないでいる、の意味もあります。

さらに「目の前に躍り出でよ」です。この言葉から連想される「敵」は格闘技系の「敵」でしょう。ほんとにそんな男が現れたら、啄木はひとたまりもありません。短歌や詩や評論の「敵」となら立派に闘えるでしょうが、そうした「敵」は「「目の前に躍り出で」たりしません。

この歌はこうして最大の悩みから気を紛らわせるための心のあり方をうたったもの、という事になります。

24、25ページの見開きはこういう風に組み立てられている、ということになるでしょう。

自分可愛さを持て余す思想家の悩み。→悩みに縮こまった心のしわを伸ばしてみる試み。→悩みをすっかり忘れたような欠伸の願望。→でなければ悩みを忘れられるような敵出現の空想。

さて、25ページをめくるとどんな歌が現れるでしょう。

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