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2009年5月 7日 (木)

空き家に入り

     空屋に入り

     煙草のみたることありき

     あはれただ一人居たきばかりに

<ルビ> 空屋=あきや。入り=いり。煙草=たばこ。

<語意> (あり)き=回想の助動詞、(あっ)た。 あはれ=ああ。

<解釈> もし家主や巡査に見つかれば罪をとわれると分かっているのに、空き屋に入って煙草を吸ってたことがあった。ああ、一人っきりになりたいために。

前回の歌と同時期の作ですから、下宿代を払わぬ詩人に対して下宿の主人の催促は急、女中さん達も虐待気味、という事情は同じです。下宿の居心地のわるさったらありません。

しかし居心地が悪いのはそのせいだけではありません。部屋で一人、のたうち回って苦しんでも小説が書けないのです。そこへ函館に置いてきた老母と妻と子がはやく呼び寄せて、と手紙で迫って来ます。

小説が書けない→金が入らない→下宿代が払えない→まして家族は呼べない、の悪循環の中、下宿の催促と家族の願いは強まるばかりです。いったん外出すると下宿が人間関係の悪循環そのものに思えて、帰りたくなくなります。

ふと、煙草屋の角を曲つて、とある横町に入ると・・・・門構えの空屋があ(る)。・・・・「さうだ、お母さんを呼んで家を持つには、こんな静かなところが可い。」と、何年先だかわからない事を思ふ。そして門の中へ入つて行く。「誰もゐないところへ行つてみたい行つてみたいと思つてゐたが、さうだ、この(家の)中へ入つて、そしてよつく自分の事を考へてみよう。」といふ心細い、然し大胆な望みが起つた。入った。

これは啄木の小説構想メモ「松太郎と或る空屋」の一部です。松太郎は考え事をしている内に眠ってしまい、家主に見つかって巡査に捕まります。このメモは掲出歌の背景を語っているように思われます。

自分にまつわりつく人間関係の網からのがれたい、一人になりたい。このしょせん叶わぬ夢を追うため詩人は、空き屋に入り煙草を吸いました。このみじめな可笑しな行動によって夢を追ったところに、かえって詩人の願いの切実さが浮かび上がります。

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