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2009年5月15日 (金)

かなしきは(飽くなき)  その1

     かなしきは

     飽くなき利己の一念を

     持てあましたる男にありけり

<語意> かなしきは=評釈のところで解説。飽くなき=どこまでもやむことのない。利己=自分の利益だけを考え、他人のことはかえりみないこと(ただしこの歌では特別の意味を持つ)。男にありけり=男であったよ。

<解釈> ほんとうにどうしようもないのは、どこまでもやむことのない利己心を持てあましている石川啄木という男であったよ。

簡単なようで非常にむずかしい歌です。「高山のいただきに登り」よりもっとむずかしかったです。「かなしきは」と「利己の一念」にひっかかりもう5日も経ちました。

まず「かなしきは」。『一握の砂』『悲しき玩具』の他の全用例を引いておきます。

かなしきは/喉のかわきをこらへつつ/夜寒の夜具にちぢこまる時

かなしきは/秋風ぞかし/稀にのみ湧きし涙の繁に流るる

かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ

かなしきは/かの白玉のごとくなる腕に残せし/キスの痕かな

かなしきは、/ (われもしかりき)/ 叱れども、打てども泣かぬ児の心なる

かなしきはわが父!/ 今日も新聞を読みあきて、/ 庭に小蟻と遊べり。

辞書の訳語を借りて訳せる「かなし」は一つもありません。岩波古語辞典は「かなし」について「自分の力ではとても及ばないと感じる切なさをいう語」と概括的に解説していますが、啄木の「かなし」はどれもこの根本的な意味を踏まえています。しかし踏まえた上で、「かなし」の具体的な意味を歌の中から探るほかありません。「かなしきは」を「悲しい(または)哀しい(または)愛しいのは」と言い替えても何も分からないのです。この歌の場合だと「飽くなき利己の一念を持てあましたる男」になぜ、どんな「かなしみ」を抱いているのかを探らねばなりません。ということはそのころの啄木の「利己」をめぐる悩みとはどんなものなのかを知る必要が出て来ます。

この歌は1910年(明43)5月号の「創作」に5句が「男なるかな」の形で載っていますから、同年4月下旬の作と思われます。つまりそのころの啄木の「利己」の悩みを探る必要があります。次回それを探ります。

そして「かなしきは」の訳も得たいと思います。

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