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2009年5月24日 (日)

手が白く

     

     手が白く

     且つ大なりき

     非凡なる人といはるる男に会ひしに

<ルビ> 大=だい。

<解釈> 手が白くて大きかった。非凡な人と言われている男との会談の印象はそんなところだった。

「非凡なる人」は早くからモデル論議がなされ、かつ特定できず、詮索無用論に傾いています。しかしわたくしは簡単に特定できる問題だと思います。

モデルとして挙がったのは、政治家尾崎行雄、東京朝日新聞主筆池辺三山、同編集長佐藤真一、作家森鴎外、そして詩人・彫刻家高村光太郎です。

啄木はその「非凡といはるる人」を「男」と呼んでいます。「男」はここでは地位、年齢、能力などでほぼ同等の人物を呼ぶ言葉です。啄木は尾崎・池辺・佐藤・森の各人物を「男」とは呼びません。「先生」「人」「主筆・編輯長などの職名」で呼びます。したがって歌の言葉を大切にすれば光太郎以外の4人は最初から詮索の対象ではないのです。

高村光太郎については「新詩社中で予の最も服して居る高村砕雨君」などと呼んでいます(砕雨は光太郎の雅号)。

光太郎は彫刻家(木彫)として才能を開花させつつ、新詩社にも早くから加入。短歌、感想、戯曲、詩、翻訳などを「明星」に載せ石川啄木、平野万里等とともに、新詩社中の俊秀として注目されていました。まさに「非凡なる人」と目されていました。

その光太郎のアトリエを啄木が訪れたのは日露戦争中のことです。1904年(明37)11月~1905年4月のことと推定されます。光太郎の詩「暗愚小伝」中の「転調 彫刻一途」の中につぎの一節があります。

いつのことだか忘れたが、

私と話すつもりで来た啄木も、

彫刻一途のお坊ちゃんの世間見ずに

すっかりあきらめて帰っていった。

日露戦争の勝敗よりも

ロヂンとかいふ人の事が知りたかった。

ところで「我を愛する歌」の章では、啄木は人物をうたうのではなく心の姿百態をうたっているのでした。したがってこの歌も高村光太郎という人物をうたうのがテーマではないはずです。

何をうたったのか。敬意を抱きぜひゆっくり話して見たかった人物とようやく差し向かいで会見できたのに(会ひしに)、あまり心をふるわせるような話ができなかった。だから話の内容ではなく、「白く且つ大」なる手が印象に残ったというのでしょう。

期待して対面した(会った)人物との対話が期待通りでなかった時の、妙に索漠とした気持ち、それをうたった歌であると思われます。

光太郎が話をしながらも木彫に余念が無く、その手先をじっと見つめている啄木というシーンを想像することもできます。

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