« こころよく(人を讃めて) | トップページ | 高きより飛びおりるごとき心もて »

2009年5月30日 (土)

雨降れば

     雨降れば

     わが家の人誰も誰も沈める顔す

     雨霽れよかし

<ルビ> (わが)家=(わが)いへ。誰も誰も=たれもたれも。霽れ=はれ。

<解釈> 家族関係がむずかしく、普段から気持ちの沈み勝ちのわが家だが、今日はだれもだれも沈んだ顔をしている。きっと雨が降っているせいに違いない。雨よどうか霽れてくれ。みんなの顔も晴れるかもしれないから。

この歌を作ったのは1910年(明43)5月10日前後と見ていいでしょう。そのころの石川啄木家は、本郷弓町の床屋喜之床(新井方)の2階に住んでいたこと、すでに述べたとおりです。

前年末には父一禎も青森県野辺地の師僧(母カツの兄)のもとを離れ、上京していました。したがって一家の構成は一禎・カツ・啄木・節子・京子の5人。2階の6畳2間に5人家族はいかにも窮屈でしょう。

10年1月18日節子は宮崎郁雨と結婚した妹ふきに手紙でこう書いています。

父が上京して一家五人、婆さんは相変らず皮肉でいや味たつぷりよ。私は年取つてもあんな婆さんにはなるまいと思ふて居ります。父は酒を毎晩ほしがるし、仲々質屋と縁をきる事はむづかしい様ですよ。何時も何時もピーピーよ。

前年10月に妻節子が京子を連れて家出し、もどってからは啄木夫婦の間にもすきま風が吹いています。妻と母は相変わらず不和です。

一禎は坊さんの仕事以外は何にもできぬ人。その人が寺を離れてしまっては陸に上がった老河童も同然でした。資本主義が全面的に展開し始めた日本の、その中心の東京に東北地方の外れから出てくると、その存在はもう場違いで喜劇的でした。

京子は3歳半で動き回り遊びたい年頃。

おそらくこの一家は不和が日常的で、和が非日常的だったようです。一家の主として啄木は日ごろ心を痛めていたのでしょう。雨の降る降らないは本質的なことではありません。でも家族の顔が雨の日は特に暗くなるように思います。霽れると明るくなるような希望を覚えます。

啄木は家族の和を願いながら、それがきわめてむずかしいことを認識し、その上で強いて、家族の浮かぬ顔つきを雨のせいに、霽れても実情は変わらないのに、変わるように(よくなるように)思いなして、上の歌を作ったのでしょう。

家族の和を願う心の姿がうたわれています。

« こころよく(人を讃めて) | トップページ | 高きより飛びおりるごとき心もて »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/45158081

この記事へのトラックバック一覧です: 雨降れば:

« こころよく(人を讃めて) | トップページ | 高きより飛びおりるごとき心もて »