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2009年6月17日 (水)

実務には役に立たざるうた人と

     実務には役に立たざるうた人と

     我を見る人に

     金借りにけり

<ルビ> うた人=うたびと。

<語意> 実務=職業上実際にやる仕事。

早朝から3時間かけて原稿ができあがり、少し長いから2つに分けようかと思ったのが運の尽き。操作を誤ってせっかくの原稿が消えました。以下記憶をたどりながら復元します。どうせ同じくらいの時間がかかるでしょう。今日1日はこのブログで飛び去ります。

「実務」の意味がむずかしかったです。いろいろの辞書を調べましたが、結局愛用の新潮現代国語辞典の意味がベストでした。「実務」の語釈は掲出歌を例にあげて「実際に取り扱う業務」とあり、「業務」は「職業・生業としての仕事」とありました。啄木の場合の「実務」は東京朝日新聞社編集局の校正係と言うことになります。

とすると「我を見る人」は啄木が校正係として「役に立た」ないと思っている人でかつ啄木が歌人であることを知っている人でなければなりません。

啄木がこの歌を作ったのは1910年(明43)9月9日夜です。

この時期の啄木の両面を知っている人はだれか? 岩城之徳氏は東京朝日新聞の佐藤真一編集長か宮崎郁雨だろうと言いましたが、両方とも違うでしょう。

入社の労を執ったのですし、入社以後最後まで啄木の能力を高く評価するとともに庇護者としても面倒を見ました。二葉亭全集校正の仕事で池辺三山に啄木を推輓したのも佐藤でしょう。三山が啄木の仕事ぶりに惚れて二葉亭全集の責任者にしたことは前回の歌で見たところです。「実務には役に立たざるうた人」と見ることはありえません。

宮崎郁雨はどうか。かれは東京朝日新聞における啄木の作歌当時の勤務状況は知りません。また郁雨がお金を貸したのは啄木の北海道時代のことで、啄木の上京後はいろいろな事情の下に実際にはお金をあげています。09年(明42)10月に郁雨は啄木の妻節子の妹ふきと結婚しましたから、それ以後は貸すのではなくはっきり援助としてたびたび送金しています。郁雨説もなりたちません。

その上困ったことがあります。啄木は校正係としてもきわめて有能でした。決して「役立たず」ではないのです。

「実務には役に立たざる」の意味を考え直す必要があります。「校正係としては戦力にならない」の意味ととるとどうでしょう。

校正係の仕事と二葉亭全集の校正を兼任するようになると、啄木は「実務」つまり校正係の仕事にいつでも参加するというわけには行かなくなります。まして全集の責任者を任せられるとその関係から漱石を訪問することもありました。図書館通いもしました。全集の仕事以外にも渋川柳次郎部長から依頼されて森鴎外宅に取材に出かけたこともあります。作歌当時には啄木が朝日歌壇の選者に抜擢された事も編集局内には伝わっていたことでしょう。

つまり校正部のメンバーからすると、啄木は校正係としてはますます戦力外になっていった歌人なのです。

これが「実務には役に立たざるうた人」の唯一の整合的解釈だろうと思います。

続きは次回にまわします。

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