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2009年6月 3日 (水)

この日頃

     この日頃

     ひそかに胸にやどりたる悔あり

     われを笑はしめざり

<解釈> このところ、ひそかに私の胸にやどった悔いがある。それが私から笑いをうばっている。

この歌は1910年9月9日夜につくられた39首中の1首です。

9月9日は啄木が評論「時代閉塞の現状」を書き上げた直後の日付と思われます。この近代評論中白眉の1編はそのあまりに鋭い論鋒のために、東京朝日新聞は掲載不可能と判断し、ボツにしました。

そういう時の歌だけに、39首中には啄木短歌の中でも特異の、『一握の砂』には収めなかった秀歌が何首かあります。有名な3首をあげましょう。

明治四(し)十三年の秋わが心ことに真面目になりて悲しも

秋の風われら明治の青年の危機をかなしむ顔なでて吹く

時代閉塞の現状をいかにせむ秋に入りてことにかく思ふかな

9月9日の全39首の主旋律は実は「大逆事件」なのです。

今井泰子さんはこの歌について次のような鋭い読みをしています。

「悔」の内容も示さず、「この日頃」と限定し、表現のさりげなさに努めているが、「ひそかに」「笑はしめざり」にその「悔」が他人に言える質のものではない、まじめな問題とかかわることを示唆。

この読みと大逆事件を結ぶと「悔」の内容が浮かび上がってきます。

「かなしきは(飽くなき) その2」で書きましたが、啄木はこの年6月はじめまで、「硝子窓」にあるように国家権力と対決する事を怖れます(「利己の心をもてあまし」ます)。そして処世の結論を出します。「透徹した理性」に拠って時代を傍観しようと。

まさにその瞬間に大逆事件が発覚しました。命を賭けて国家と対決しようとした人たちがすでにいた! この事実が分かった時啄木は深刻に反省します。自分の傍観的態度はこの人たちにとって、何という残酷な振る舞いとなっていたことか、と。

これが「悔」の内容です。この解釈は啄木最後の小説「我等の一団と彼」を読み解く事によって得られたものです。くわしくは近藤典彦『『一握の砂』の研究』(おうふう、2004年)第Ⅱ部第三章「我等の一団と彼」から『一握の砂』へ、をご覧下さい。

思想家としての誠実きわまりない反省の歌、です。

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