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2009年6月 9日 (火)

へつらひを聞けば  その2

     へつらひを聞けば  その2

「一利己主義者と友人との対話」は『一握の砂』の原稿が完成して東雲堂書店に納められた直後の1910年(明43)10月16日~19日に書かれた啄木最初の歌論です。「一利己主義者」とは自分が可愛くてたまらない男すなわち啄木を指します。歌論の中では人物「A」です。「友人」のモデルは並木武雄で人物「B」です。

並木武雄は啄木が函館時代にもっとも親しくした4人の友人中の1人です。啄木が1908年(明41)4月に上京した時、並木も東京外国語学校に受かって上京しました。その後1年非常に親しくつきあいます。翌年はちょっとした事情があって前年ほどにはつきあいませんが、10年(明43)3月、啄木が東京毎日新聞や東京朝日新聞に新調の短歌を発表し始めると、いち早く目を留め、遊びに来ます。

9月啄木が朝日歌壇の選者になった時も遊びに来ました。このとき並木は、多くの大家(与謝野寛・晶子、伊藤左千夫、佐佐木信綱ら)とめざましい新進歌人(北原白秋、土岐哀果、前田夕暮、吉井勇、若山牧水等々)を尻目に啄木が選者に抜擢されたことをよろこび、「歌人」啄木を讃えたようです。

ところが啄木にはこれがコチンと来ます。おれは「歌人」などというちっぽけな人種ではない、もっとましな「人間」だというのです。だから「歌人」としてほめられるのはいやで気に入らないほめ方つまり「へつらひ」と感じてしまうのです。そして友人自身にではなく、その「へつらひ」に腹を立てます。

ところが啄木の心理は屈折しています。自分の歌の価値を知っていますし、他の歌人の歌とは異なる価値も自認しています。だからこそ『一握の砂』創造にも心血を注ぎました。自分の歌、歌の才能を評価されるとついうれしくもなります。

この矛盾した自己にも気づいています。「あまりに我を知」っているのです。

こうした事どもは「一利己主義者と友人との対話」第二歌論「歌のいろいろ」からも(注意深く読めば)読み取れますが、一番いいのは11年(明44)1月9日に友人瀬川深に宛てて書いた手紙の一節です。長くなるが引きましょう。

ぼくの歌は全く他の歌人の歌と意味を異にしてゐるのであるが、それでも兎も角歌といふものを作つてゐる以上、人から歌人と見られることもあれば、自分でも歌人らしい気持になることがある、僕は他人から詩人扱ひ、歌人扱ひされると屹度一種の反抗心を起す、「おれはそんな特別な珍品ぢやない、おれはただの人間だ、立派な一人前の人間だ」と心に叫ぶ、

(以上が「へつらひを聞けば/腹立つわがこころ」です。引用を続けます。)

がすぐその後(あと)から、他人の歌と自分の歌とを比較してプライドを持つたりする、僕は歌を作るために生活してゐる人の生活に対して殆ど何の尊敬も同情も持つてゐない、さういふ生活は片輪だと思ひ、空虚だと思ふ、随つてさういふ人の歌と自分の歌とを比較したとて何にもならぬことをよく知つてゐる、比較するといふのが既に自分を卑下する所以だと思つてゐる、それでも時々比較する、感心することもあればプライドを持つこともある、これ僕の悲しみである、同時に弱みでもある、

(以上が「あまりに我を知るがかなしき」です。やれやれ。たった14字で書かれたってこんな複雑な内容が分かるはずがない。)

これで28ページ右におかれた「この日頃」の歌との内容的関連が出て来ました。当然29ページ左の歌ともある関連を有するはずです。

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