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2009年6月 1日 (月)

高きより飛びおりるごとき心もて

     高きより飛びおりるごとき心もて

     この一生を

     終るすべなきか

<ルビ> 終る=をはる。

<解釈> 私はある思想問題で決断できずに苦悩し、苦悩をのがれるために気持ちを他の事に向けて緊張させようとするのだが、それも持続できない。高いところから飛び降りる時のあの決断と緊張の心理を持ちつづけて、わが一生を全うする方法はないものか。

「清水の舞台から後ろ飛び(または飛び降りる)」ということわざがありますが、まさにその心持ちのことでしょう。そんな心持ちを常時持ちつづけようとしたら、そのうち発狂するでしょう。歌のような願望は実際にはありえないことです。でも啄木は敢えてうたったわけです。

日常生活において「決断と緊張」とは反対の心持ちに落ち込んで悩んでいるために、その裏返しの願望をうたったのだと思われます。

この歌を作ったのは1910年(明43)5月10日前後と推定されます。このころの啄木は社会主義・無政府主義の思想を研究しなければと思いつつも、研究することを怖れていました。研究すればきっと国家権力との対決に進み出ることになるからです。その恐れる心を「利己の心」だとして、自己嫌悪に陥っていたのでした。

「かなしきは(飽くなき) その2」でこのことを書き、エッセー「硝子窓」からそれを示す1文を引用しました。まさに「決断」できない悩みに日夜苦しんでいたのです。

そこで引用した1文の前に綿々と書かれているのは次のような悩みです。

自分はその「決断」の悩みを忘れるために、職場でも家庭でも仕事を求めその忙しさに没頭するのだ、と。ところが困ったことに何時も何時もそんなに忙しいわけではない。暇ができる。すっと「決断」の問題が心の中に入り込んでくる。

こちらは「緊張」を持続できない悩みです。啄木の原文を引きましょう。

然し、然し、時あつて私の胸には、それとは全く違つた心持ちが卒然として起つて来る。恰度(ちゃうど)忘れてゐた傷の痛みが俄(には)かに疼(うづ)き出して来る様だ。抑へようとしても抑へきれない、紛らさうとしても紛らしきれない。

思想家石川啄木の誠実きわまりない悩みです。

この悩みの苦しみの底で掲出歌のような願望をいだいたのでしょう。

この歌のテーマは「思想家の悩み」となりましょう。

この歌の評釈ではつぎの2冊のお世話になりました。記して謝意を表します。

玉城徹『鑑賞 石川啄木の秀歌』(短歌新聞社、1972年)

橋本威『啄木『一握の砂』難解歌稿』(和泉書院、1993年)

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