« 死ぬことを | トップページ | 真剣になりて竹もて犬を撃つ »

2009年6月29日 (月)

路傍に犬ながながと呿呻しぬ

     

     路傍に犬ながながと欠伸しぬ

     われも真似しぬ

     うらやましさに

<ルビ> 路傍=みちばた。呿呻=あくび。真似=まね

<解釈> 道ばたで犬が大きな口を開けてながながとあくびした。この世の屈託は何もないかのように。私もまねをしてながながとあくびしてみた。犬がうらやましくて。

32ページ右の歌は生活で追い詰められた心の歌でしたが、左のこの歌は屈託からの脱出を試みる歌、とでもなりましょうか。それも犬に倣ってやってみようとは。啄木の凛々しい写真を思い浮かべて、あの顔で犬のあくびをまじまじと見つめ、それからかれ自身が真似している様を想像すると、可笑しくなります。

大岡信氏の言われる啄木短歌の特質の1つ「ユーモア」のよく出ている歌です(「鏡とり」のページ参照)。

最近は見かけませんが、昔は犬のあくび、馬の笑い、牛のよだれはよく見られたものです(ついでに言えば犬や猫の交尾も)。犬の遠吠え、馬のいななき、牛の鳴き声も日常のものでした。

日本人は神代の昔から獣や鳥から様々な事を学んできました。イザナギ・イザナミはせきれいからセックスの仕方を学び、大剣道家が猿や燕の動きに学び、わが石川啄木は犬からあくびを学び、という風に。

わたくしは18年間飼った猫から、生まれ落ちてから死ぬまでの人生の手本(あらまほしき手本)を見せてもらいました。

掲出歌の初出は『一握の砂』。したがって作歌は1910年(明43)10月4日~16日です。

« 死ぬことを | トップページ | 真剣になりて竹もて犬を撃つ »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/45464515

この記事へのトラックバック一覧です: 路傍に犬ながながと呿呻しぬ:

« 死ぬことを | トップページ | 真剣になりて竹もて犬を撃つ »