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2009年6月22日 (月)

それもよしこれもよしとてある人の  その2

     それもよしこれもよしとてある人の  その2

「へつらひを聞けば  その2」で啄木最初の歌論「一利己主義者と友人との対話」の登場人物「A」のモデルが啄木自身で、「B」のモデルが並木武雄であると言いましたが、この歌論では「B」並木の人柄が躍如としています。例をあげます。

B 莫迦なことを言へ。女の事なんか近頃もうちつとも僕の目にうつらなくなつた。女より食物(くひもの)だね。好きな物を食つてさへ居れあ僕には不平はない。

B 自分にも飽きたさ。飽きたから今度の新生活を始めたんだ。室だけ借りて置いて、飯は三度とも外で食ふことにしたんだよ。

A しかし羨ましいね君の今のやり方は、実はずつと前からのおれの理想だよ。もう三年からになる。(これは啄木のセリフ。「その気がるさを欲しくなりたり」の一例)

このあと歌人と言われるのがいやだという「A」に対し「B」は言われるのもいいじゃないかと言う。(これも「それもよしこれもよし」の一例)

うまい物を食うことが生き甲斐の「B」なのだが、どこで何を食べているかというと、

B 上(かみ)は精養軒の洋食から下(しも)は一膳飯、牛飯、大道の焼鳥に至るさ。飯屋にだつてうまい物は有るぜ。先刻来る時はとろろ飯を食つて来た。

歌をめぐっての対話からも例はいくつも挙がりますが、以上でいいでしょう。

「それもよしこれもよしとてある人」は並木武雄で、本質的に同様の対話が3月にもあり、それが掲出歌になったと考えてよいでしょう。並木のそういう側面はとうに知っていたのでしょうが、突然うらやましさを感じて歌になったのでしょう。

ところで歌は並木をうたうことが目的ではなく、啄木自身の心がうたわれています。どんな心か。第2の歌論「歌のいろいろ」に答えが書かれています。

(おのれ)の為(す)る事、言ふ事、考へる事に対して、それを為(し)ながら、言ひながら、考へながら常に一々反省せずにゐられぬ心、何事にまれ正面(まとも)に其問題に立向つて底の底まで究めやうとせずにゐられぬ心、日毎々々自分自身からも世の中からも色々の不合理と矛盾を発見して、さうして其の発見によつて却つて益々自分自身の生活に不合理と矛盾とを深くして行く心――さういふ心を持たぬ人に対する羨みの感は私のよく経験する所のものであつた(太字は引用者)

引用した全体が「その気がるさを/欲しくなりたり」のほんとうの内容です。

自分の「意識力」(草壁焔太)をもてあます歌、ということになりましょう。テキスト318ページに引いてある草壁氏の言葉をかみしめてみてください。

自分の鋭くなりすぎた意識をもてあますと言うことは、だれにもあることでしょう。そのときこの歌を思い出して「その気がるさを/欲しくなりたり」とつぶやいてみる、そういうのもこの歌の効用ではないでしょうか。

なお草壁焔太『石川啄木 「天才」の自己形成』(講談社現代新書、絶版)は啄木評伝中の白眉です。

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