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2009年7月 5日 (日)

ダイナモの

     ダイナモの

     重き唸りのここちよさよ

     あはれこのごとく物を言はまし

<語意> ダイナモ=dynamo.発電機。まし=願ってもどうにもならないことを希望する意を表す。(できれば)~たらよいのに。

<解釈> ダイナモの重々しい唸るような音の心地よさよ。言論弾圧の嵐が吹きすさぶこの時代にあって、ああ、このダイナモのように思うさま発言できたらよいのに。

「ダイナモ」は明治村などで大きな実物を見学していますが、ここでうたわれるのがどういうダイナモなのか、どうしても分かりません(ちなみに自転車前輪についている小さな発電機あれもダイナモです。もう20年以上探っているのですが。引き続き調査中です。

ともあれ、ダイナモは何ものにも妨げられないぞ、と言わんばかりに重々しい唸るような音を発して回っているのでしょう。

啄木がこの歌を作ったのは1910年(明43)8月3夜-4日夜。

(ここまで書いて7月2日-4日留守にしていました。以下につづきを書きます。)

啄木はこの年5月末の大逆事件発覚以来、事件の思想的背景としての社会主義・無政府主義研究に没頭。急速にマルクス・エンゲルスの社会主義に接近して行きます。そして7月の後半に有名な評論「所謂今度の事」を書きます。

啄木は「所謂今度の事」を書くことで、大逆事件の内容と思想的背景(=無政府主義)を読者に知らせ、あわせて厳重な取調を受けている被告たち、分けても幸徳秋水を間接的に弁護しようとしたのです。

もちろん国家権力の言論弾圧を十分に計算し、ぎりぎりのところで書こうとします。そのレトリックは巧妙(というより老獪)です。

内容をほんとうに知りたい方は「所謂今度の事」の原文を用意され、小著『『一握の砂』の研究』(おうふう)の207~210ページを手がかりとしてお読みください。すさまじい事が韜晦の文体のその裏に書かれています。

啄木は原稿をある程度まで書いて東京朝日新聞の編集長代理弓削田精一に渡します。弓削田は新聞の発禁を怖れ、掲載不可と判断します。(しかし弓削田はこの原稿を惜しんで死ぬ直前まで秘匿し、いつか世に出せる時が来たら出して欲しいと遺言して亡くなります。原稿が日の目を見たのは弓削田の死後20年目の1957年でした。)

啄木が掲出歌を作った1910年(明43)8月3夜-4日夜というのは、弓削田の掲載不可の判断の直後という事になります。

啄木は「所謂今度の事」の掲載不可に象徴されるような、言論弾圧下にあって、ダイナモの何ものにも妨げられないぞ、と言わんばかりに重々しく唸る音を聞いて、このように発言できたらどんなにいいだろう!と思ったのです。

先覚者の嘆きの歌です。

32~33ページの見開きにもあるモチーフが流れています。

32ページに窮迫した心、屈託した心、33ページには幼児ひたむきさ(自分の二重性)、表現の自由の希求、の歌が配置されています。

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