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2009年7月19日 (日)

箸止めてふつと思ひぬ

     

     箸止めてふつと思ひぬ

     やうやくに

     世のならはしに慣れにけるかな

<ルビ> 箸=はし。止めて=とめて。

初出は『一握の砂』ですから、1910年(明43)10月4日~16日の作。食事中にふっと思ったことをうたっています。

食事には作法がつきものです。膳に向かう時は正座する。箸は右手でこう持つ。茶碗は左、汁椀は右に置く。茶碗または汁椀の物を食べる時は必ず左手で持つ。などなど。

啄木の母は下級ながらも士族の出、しつけはしっかりしていました。啄木はもう立派な事実上の家長になっていましたが、食事時は幼時から母がしつけてくれた作法にしたがって食べていたことでしょう。

作法つまり「世のならはし」に従っている自分にふっと気づいて、2行目以下を思ったのでしょう。

「やうやくに」に今井泰子さんは「そこにいたるまでの作者の深い内面的・外面的苦闘、葛藤」の暗示を見ていますが、卓見です。

「石川啄木伝」を小樽時代まで書いてきて、啄木がもっとも慣れなかった「世のならはし」は何だったかと考えてみると、1つの事にしぼれるように思われます。

「給料取りにはならない」がそれです。父一禎は僧侶ですから法要その他で布施を受け取りそれを収入としましたが、労働によって収入を得る生活とは無縁でした。幼少時の啄木はそのかしこい目で父の生活を最上のものとして見て育ちました。しかも一禎は息子に「筆一本で食べる」ことを夢見させたようです。

啄木は、詩人として(後には作家として)食べてゆく、以外の道を絶対に選ぼうとしませんでした。結婚して一家の主になってもなお! 

しかしどうしようもなくなって渋民小学校の代用教員になり、北海道では新聞記者になります。しかしそんな事などしていられないというので、老母妻子を函館に残して単身上京し、働かずに小説を書きます。惨憺たる結果に終わります。

1909年(明42)3月、しかたなしに東京朝日新聞の校正係になります。4月、5月、6月、7月はどうしようもない勤め人でした。しかし同年秋には年貢を納め、真面目な勤め人になります。それから1年、「やうやくに世のならはしに慣れ」た自分に気づいたのです。「・・・にけるかな」にその気づきと詠嘆がこよなく表れています。

ところで「世のならはしに慣れ」るとは、自分の真の願望を押し隠すことと表裏をなしています。世の中の大多数の人々は自分の願望を押し隠して、「世のならはし」に従って生きています。掲出歌は結局それをうたっているわけです。

自分の人生をふり返ると、どんなにどんなに自分の願望を押し隠し押し殺して来たことか! きっとみなさんもそうでしょう。

<解釈> 食事中無意識のうちに作法通りに食べている自分に気づき箸を止めて思った。あんなに世のならわしに背き続けた自分だが、とうとう世のならわしに慣れて自分を押し隠し、真面目に勤めていることだなあ。

36ページの2つの歌は、空寝入生呿呻や世の習わしへの慣れの奥に、押し隠した自分の存在を暗示している点で共通しています。

それではこの両歌が37ページ右の歌にどうつながると思いますか?

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コメント

啄木がもっとも慣れなかった「世のならはし」は「給料取り。成るほどなと思いました。

「世のならはしに慣れ」るとは、自分の真の願望を押し隠すことと表裏をなしています。

本当にそうですね。でもそうでなければ暮らしていけない。啄木は最後まで慣れなかったのでしょうか。

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