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2009年7月17日 (金)

空寝入生呿呻など  その2

     空寝入生呿呻など  その2

問題の平野万里はこんな人です。

1886年(明18)5月25日生まれ。高村光太郎、石川啄木とならんで与謝野寛がもっとも望みを託した新詩社子飼いの歌人。1907年(明40)3月には歌集『若き日』を出した。08年7月東大工科大学(=工学部)を卒業。

与謝野晶子も平野を深く信頼していました。啄木もそれを聞かされていました。で、こうなります。

自分の信ずる人(ここでは晶子)の賞める人をば、始めからいい人の様に思ふ。その理屈で、僕も大分平野を信じてゐた。信じてゐるだけ圧迫が強かつた。一緒に千駄ヶ谷(新詩社)から帰る時など、平野は電車の中でアタリ構はず大きな欠伸などをする。そして黙つて僕などを見ることなどがある。そんな時には、僕は何といふことなく非常な圧迫を感じて、あらぬ方を見ながら、心では此の男を殺して了ひたい位に怒つてゐた。(09年3月3日宮崎郁雨宛の手紙)

これが伏線でした。この手紙は非常に長いのですが、その終わりの方にこうあります。

そして一月八日の相談会には、(出席者与謝野氏平出君外合せて十人)僕は思ふだけ何でも言つた。そして総ての事は僕の立言が成立して、平野の立言は皆破れた。かくて事実上平野の圧迫を脱した。そして、二号を僕一人でやつた。歌を六号にしたのは、単に紙数の都合だけではない。紙数の如何に不拘ああやる積りだつた。・・・・それについての平野と僕の喧嘩は雑誌で見たであらう。あれを平野の発見した日の夕方、電車の中で平野が僕に喰つてかかつた。僕は生欠伸をし乍ら返事してやつた! 

あの「生アクビ」は啄木のリベンジだったのです。

リベンジした時の啄木の「思ふこと」の内容を推測するとこんな事になるでしょうか。

お前は以前おれに対してひどく高圧的に出ていたな。しかしお前の圧迫はことごとく跳ね返した。総決算が今度の短歌六号活字だ。そしてこの「生アクビ」が以前のおまえの大欠伸に対するお返しよ。

平野に圧迫を感じていたこと、とくにあの欠伸は許しがたかったこと、圧迫を脱するのに苦労したこと、ついにリベンジに大成功したこと、これらは平野に言うべきことではありません。すべてを隠してただ「生アクビ」一つ。

青年同士の愉快な喧嘩です。のちに与謝野晶子が啄木偲んでうたいます。

  ありし時万里と君のあらそひを手をうちて見きよこしまもなく

さらに、アジア太平洋戦争の敗色が濃くなった1944年(昭19)4月、59歳になった万里は「啄木を憶ふ」と題して10首を詠みます。そのうちから2首。

  啄木の岩手なまりを思ひ出づ山鴬を聞くかのやうな

  啄木の辛さを知らずその無知や測るべからず当時の青年

さて、テキスト36、37ページの見開きですが、ここの4首になにかモチーフを見出せますか? わたくしはほとほと困りました。さすがに啄木も各見開きすべてにモチーフを配することは出来なかったのだろう、と思ってもみました。しばらくは絶望的でした。しかし3首目までにはあるモチーフを見出せました。

しかし4首目にもそれが通じて行くのかは未だ分かりません。「しっとりと水を吸った海綿の重さに似た心地」なんてどんな心地でしょう。分かっていたつもりがまるで分かりません。

海綿スポンジにしっとりと水を吸わせて掌に乗せてみようと思い、京都の海綿屋に発注しました。それが着いたら再度考えてみます。

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