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2009年7月 6日 (月)

剽軽の性なりし友の死顔の

     剽軽の性なりし友の死顔の

     青き疲れが

     いまも目にあり

<ルビ> 剽軽=へうきん。性=さが。

<語意> 剽軽=かるがるしくて滑稽なさま。

<解釈> 剽軽な性質だった友の死顔の、青さの中に浮き出た人生の疲れが、今もはっきりと印象に残っている。友のおどけの裏には人生のやりれない辛さや悲しさがあったのだ。この自分と同じように。

初出は東京朝日新聞1910年(明43)5月26日で4・5句は「青き疲労(つかれ)が長く目にあり」。

この「友」については管見の限り誰もふれていませんが、考えられる人は1人しかいません。渋民日記の1906年(明39)「八月中」の終わりにある次の記述中の「沼田千太郎」です。

予は十一歳(?)の頃死んだ母方の伯父の棺に入つた死を見た外には死人を見た事がない。その時は小児の時の事だから、種々の空想を刺戟された外には別に深くも考へなかつた。今度、三十二で死んだ友人沼田千太郎の死後一時間許りのところを見て、数日の間忘るることが出来なかつた。

生前かるがるしく滑稽に振る舞っていた友の死顔には、今や隠しようもなく生きていた時の疲れが浮き出ていた、というのです。

啄木もまた日常の振る舞いの陰に潜めている、自分自身の生きる辛さや悲しさを思っています。

啄木は『一握の砂』の歌の半分を創出した1910年(明43)10月4日~16日において、全日記を読み返し活用しました。これは『一握の砂』創造の1源泉として確実で重要な事実です。わたくしは最近もう一つの時期にも日記が歌の源泉になったと推定しています。それは短歌に啄木調を確立した1910年4月5月のことです。掲出歌もその一例と言えます。

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