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2009年9月14日 (月)

かの船の  その1

     かの船の

     かの航海の船客の一人にてありき

     死にかねたるは

<ルビ>船客=せんかく。

テキストの脚注では「1908年(明治41)4月、自分の文学的運命を試そうと北海道を脱出、船で上京した時のことであろう。」としてありますが、どうやら間違えたようです。読者のみなさんに謹んでお詫び申し上げます。

注の基にしたのは吉田孤羊『啄木研究』(改造社、1939年)の44ページでした。吉田は啄木が「函館から上京途中の船旅に、幾度か思ひつめて投身自殺を企ててゐる」云々と書いてます。実際はこれを証拠立てる啄木の記述はないのですが、分かっている限りの啄木の「航海」に関する記述でいちばん悲愴なのがこの時の航海の記述であるため、わたくしは吉田説を受け入れたのです。

しかし小説のかたちとは言え啄木自身が自殺を思った航海のことを描いていました。「しつとりと/なみだを吸へる」の歌の時に見た「漂泊」の叙述がそれです(ブログ「しつとりと」参照)。

これが分かってみると、吉田の言う「函館から上京途中の船旅」は自己の「文学的運命を極度まで試験する決心」(向井永太郎宛明41.5.5)で船に乗っているのですから、「犬コロの如く丸くなつて三等船室に寝た」(明治四十一年日誌)航海とはいえ、自殺衝動は考えにくいのでした。

掲出歌は『一握の砂』初出ですから1910年(明43)10月4日~16日の作。日記を読み返しながら作ったうちの1首です。

歌の素になった07年(明40)5月4日の日記を抜粋しましょう。この日「石をもて追はるるごとくふるさとを」出て夜の9時半頃青森港に着き、陸奥丸に乗り込みます。出港は翌午前3時。

夜は深く青森市の電灯のみ眠た気に花めきて、海は黒し。舷を洗ふ波の音は、何か底しれぬ海の思ひを告げむとするにやあらむ。……予は一人甲板に立ちつくしつ。陸も眠り海も眠り、船中の人も皆寝静まれるに、覚めたるは劫(ママ)風と我とのみ。(「海は黒し」についてはブログ「しつとりと」参照。このとき啄木が思うのは・・・・故郷)

雲に閉ぢたる故郷の空を*(せん)望(せんぼう=はるかに仰ぎ見る)して、千古一色の夜気を胸深く吸へば、ああ、我が感慨は実に無量なりき。この無量の感慨、これを披瀝するとも、解するもの恐らくは天が下一人も無けん。(世界で誰一人理解できないほどの故郷への思い!)・・・・

とぢたる目に浮ぶは、浅緑の日暖かき五月の渋民なり。我涙は急雨の如く下れり。

こうして渋民村への思いを綿々と綴って行きます。

啄木にとって乳幼児期の母、少年期の父母はかれの全ての要求を容れ、かつ保護してくれる絶対的な存在、最終の拠り所、なのでした。父母が年を取り、そんな力が無くなってくると、それに代わったのが故郷でした。故郷こそ苦闘する青年啄木をやさしく受け入れ、抱き、癒やしてくれる最終の拠り所でした。しかしとうとうかれを包容し、癒やし、甘えさせてくれる拠り所を永久に失ったのです。少なくともこの日のかれはそう思いこんでいます。

だからこの日の「感慨は無量」なのであり、誰にも分かってもらえないほどのものなのです。この絶望的な喪失感、孤独感の中でかれが考えるパターンの1つが「死のうか」です。

解釈と38、39ページ見開きの読み方については明日記します。                                                   

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