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2009年9月 1日 (火)

ブログを再開します。 死ね死ねと

長らく中断させていただきました。1ヵ月間の中断にもかかわらず用件はさっぱり片づかず、本もほとんど読めず、疲れもあまり回復しませんでした。中断をさらに延長したいと思いました。

しかし1ヵ月前のアクセス数合計(4月-7月)が2223だったのに、中断1ヵ月後の8月31日のアクセス数合計(4月-8月)は4338に跳ね上がっていました。覚悟しました。今日から再開します。さしあたり週に2回位のペースでゆこうかと思います。

8月30日の総選挙とその開票結果は痛快でした。古人は「おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし」と言いましたが、自民党の驕りは長かったのか短かったのか。過ぎてみると「久しからず」だったという気になります。民主党は内部に前原氏のような右の人間を抱え、小沢氏のような金権体質を抱えています。わたくしは期待と疑惑が半々というところです。でも自民党を日本国民が払い落としたのは快挙でした。

今日9月1日のしんぶん赤旗9面に「石川啄木とプレカリアート」という小文が載りました。お手近でご覧いただけるといいのですが。

     

     死ね死ねと己を怒り

     もだしたる

     心の底の暗きむなしさ

<ルビ>己=おのれ。

<語意>もだす=黙る。

再開第1首目としてはずいぶん重い歌です。初出は東京毎日新聞1910年(明43)4月24日。作ったのは4月20日前後と言うことになりましょう。このころの悩みといえば「かなしきは/飽くなき利己の一念を/持てあましたる男にありけり」の「その1、その2」で述べたような悩みでしょうが、ここの悩みはもっと暗く、1908年(明41)6月~09年6月のある時点での心の姿をうたったものと思われます。

「死ね死ね」は、自分がもう一人の自分に向かって発している言葉。初めの「自分」はこうありたいという自分でしょう。「もう一人の自分」は初めの「自分」が許せないほどにだめな自分でしょう。そういう自分とは啄木の場合「どうしても小説が書けない自分」のことです。

「どうしても小説が書けない自分」をどうしてそんなに許せないのか。

15歳ころから信じてきた自分の文学的天才、その天才実現のための7、8年間にわたる壮絶な悪戦苦闘。「小説が書けなければ」自分は天才ではなく凡才であることになり、悪戦苦闘はまったく無に帰するのです。

だから「小説が書けない自分」の存在だけはどうしても許せないのです。死ね!

前に書いたように啄木はどうしても自殺できない(自分で自分を殺せない)人間です。したがって、「死ね死ねと」小説が書けない「己」を責めても、結局黙るしかないのです。そうするとそこに残るのは・・・・

<解釈>「死ね死ね」と小説を書けないだめな自分を責め立ててみても、その自分を殺すことはできない。結局黙ってしまうしかない。黙った時に心の底にわだかまるのは暗い虚無すなわち絶望。

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