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2009年9月15日 (火)

かの船の  その2

    

   かの船の  その2

<解釈>渋民村を「石をもて追はるるごとく」出て来た私は今日ふるさとを失った。もう帰るところがない。傷心の私をやさしく迎え、抱きとめてくれる場所を永遠に失ったのだ。ほんとなら東京に出て文学に打ち込むべきなのに、行く手は内国植民地北海道。どんな生活が待っているのやら心細さは限りがない。ああいっそ黒い海に飛び込んで死んでしまおうか。あのとき舟の甲板で海をのぞき込みながらそう思っても死ねなかったのは、船客の一人である私だった。

こうしてふるさとと身を引きちぎられるように別れて以後、啄木はふるさとに帰ることが叶いませんでした。だからこそかれの思郷の念は強く、強く、そのゆえにこそ数々の思郷の名歌を生み出すこととなります(「煙 二」)。

20世紀初頭の日本は産業革命の完了期・資本主義の全面的展開期でした。農村から、地方から、無数の人達が職をもとめて大都市に集中してきます。幾千万の人達の望郷の念はほとんど病のように強いものとなります。

啄木はやがてその人たちの思いをうたうチャンピオンになるわけです。

38ページ39ページの見開きに共通のモチーフを見出せるでしょうか。いくら啄木でも4首1組ごとに共通のモチーフで編集するということはできなかったか、と思われます。これまで見てきた見開きがあまりによくできていたのだと思います。起承転結の見られる見開きがいくつもありました。奇跡のような編集ぶりです。

さて、今回の見開きです。敢えてモチーフを見ようとすれば、ですがこうは言えるかと思います。

まず2首目(けものめく)と3首目(親と子と)は「場から乖離した心」を歌っている点で共通しています。今見た「かの船の」はどうか。「船客」としてはみな函館に渡ろうとしています。ところがこの「船客の一人」は「死のうか」という場違いな心を抱いています。この点で上の2首と共通して来ます。

1首目はもっとも共通性を見難いのですが、この世から乖離する心をうたっていることは確かです。(乖離=そむきはなれること。新潮現代国語辞典

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