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2009年9月20日 (日)

目の前の菓子皿などを

     目の前の菓子皿などを

     かりかりと噛みてみたくなりぬ

     もどかしきかな

<ルビ>噛み=かみ。

<語意>もどかし(き)=事態が期待通りに進行・実現しなくていらいらする。

まさか南部煎餅をかりかりと噛むようには行かないでしょう。目の前の皿に噛みついたら前歯の損傷はまちがいなし。

この歌の初出は東京朝日新聞1910年(明43)3月31日。3句の「かりかりと」の2つ目の「かり」はくの字の踊り字(このブログでは使えない)。4句は「噛みたくなりぬ」。定型の7文字を『一握の砂』ではわざわざ2文字の字余り・9文字の「噛みてみたくなりぬ」にかえています。なぜだと思いますか。

「もどかし」さはどんな具体的内容なのか、それが分かれば鑑賞はぐっと深まるのですが、実際に内容を考察しようとすれば、また何日もかかりそうな予感がします。今回は逃げることにします。

この歌は「もどかしい」心をうたったのか、「もどかしさからの脱却願望」をうたったのか。この歌に始まる40、41ページの見開き4首を見渡すと後者となりそうです。

<解釈>目の前の菓子皿などをかりかりと噛んでみたくなった。ああ、もどかしい! かりかりと噛めるものならこのもどかしさからちょっとは脱却できように。

ところでこの歌の初出が定型であったのを『一握の砂』に編集する時になぜ2字余りの歌に変えたのか。この問題にちょっと触れておきましょう。

大室精一さんの論文に「啄木短歌の形成(1)――『一握の砂』の音数律について――」(佐野国際情報短期大学 研究紀要 第8号、97年3月)という労作がありますが、これによると『一握の砂』全551首の約40%の219首が字余り歌です。また一行書きの時に定型であった歌を『一握の砂』に三行書きで収める時に、わざわざ字余り歌へと推敲した歌数が32首もあります。掲出歌もそのうちの1首です。

57577の名人啄木は三行書き短歌を創出するにあたって、意識的にワンパターンをくずそうとしたのです。

「かりかりと噛みたくなりぬ」を「かりかりと噛みてみたくなりぬ」と推敲することでどんな効果が表れるか。「目の前の菓子皿などを/かりかりと」は言葉の響きと異様な内容が相まって、ひどく切迫した調子に読者を引き込みます。ところが急に「噛みてみたくなりぬ」と2字もの字余りで引き延ばされ、一瞬もどかしくなります。そこへ「もどかしきかな」という落ちが来るわけです。

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