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2009年9月 5日 (土)

親と子と

     親と子と

     はなればなれの心もて静かに対ふ

     気まづきや何ぞ

<ルビ>対ふ=むかふ。何ぞ=なぞ。

初出は1910年(明43)4月7日の東京朝日新聞。「親と子とはなればなれの心もて食卓に就く気拙かりけり」が初出のかたちです

「親と子」は啄木と京子、母と啄木、父と啄木、父母と啄木の4通りが思い浮かびますが、京子はまだ満3歳と4ヵ月。これは外してよいでしょう。父母対啄木、これも考えにくい構図です。外しましょう。

母と啄木。これは考えられる関係です。上田博氏はそう考えていますが、わたくしも漠然と今日の今日までそう考えて来ました。しかしいつも微かに引っかかるものがありました。啄木と母はたとえば妻・嫁の節子を間にした争いになっても、二人が「はなればなれの心もて静かに対ふ」という構図にはなりにくい気がするのです。

岩城氏の解釈がよいヒントをくれました。こう書いています。

食卓に向かう家族のある日の気まずさを歌ったもの。この歌の作られた当時は父一禎が野辺地より上京していたので家族は五人となり、狭い二間の生活になにかと気まずい空気が流れていた。両親と同居する貧しい間借生活の哀歓がにじみ出ている。

わたくしの念頭に父の上京はまったくありませんでした。しかしこの歌を作った当時、確かに父が前年末に上京し、以後同居していました。「親と子」を父と子と考えるならこの歌はすらすらと解けます。

岩城氏は「家族」5人(ないし4人)の関係と解釈していますが、啄木は「親と子」と限定していますから、ここは「父と子」と考えるべきでしょう。

日記「明治四十三年四月より」の4月1日の記述によると啄木はこの日の夜、父と妻と子を浅草につれて行きたっぷり遊ばせます。そしてこう記します。

父が野辺地から出て来てから百日になる。今迄に一度若竹へ義太夫を聞きにつれて行つたきりだ。今夜は嘸面白かつた事だらう。――悲しい事には。/人間が自分の時代を過ぎてかうまで生き残つてゐるといふことは、決して幸福な事ぢやない。殊にも文化の推移の激甚な明治の老人達の運命は悲惨だ。親も悲惨だが子も悲惨だ。子の感ずることを感じない親と、親の感ずることを可笑がる子と、何方が悲惨だかは一寸わからない。/物事に驚く心のあるだけが、老人達の幸福なのかも知れない。/母の健康は一緒に散歩に出るさへも難い位に衰へた。

4月3日の日記には

喜劇『父と子』(一幕二場)の概略の筋出来上がる。

と記し、さらにその「概略の筋」を記した後にこう書いています。

古い教育を受けた人達は笑はねばならぬ。同時に又、それらの人達に反抗する子も笑はれねばならぬ。笑つて笑つて此の喜劇の幕が下りた時、真の明治の文化が幕を明けなくてはならぬ。/明治に於ける最初の真の喜劇は時代の一切を笑ふ事だ。

掲出歌を作った時とこれらの日記を記したのはほぼ同時と思われますから、「親と子」は「父と子」であること、1日と3日の日記は歌の解釈の有力な資料であることを確認してよいでしょう。

続きは次回にまわします。わたくしは9月5日~7日国際啄木学会函館大会に参加します。そのあと乙部町に行きますので、帰宅は8日夜となります。したがって次回の記事は9日か10日になると思います。

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