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2009年9月27日 (日)

あたらしき背広など着て その1

     あたらしき背広など着て

     旅をせむ

     しかく今年も思ひ過ぎたる

<語意>しかく=そのように。

作歌は前の2首と同じく1910年(明43)8月3日夜-4日夜。初出は東京朝日新聞1910年8月15日。1句「新しき」5句「思ひ過ごせる」

今回の評釈には小著『啄木短歌に時代を読む』(吉川弘文館、2000年)の掲出歌関連部分をほぼそのまま転用します。

が、その前に40、41ページの見開きに共通するモチーフを確認しておきます。掲出歌のモチーフは日常性からの脱出願望といえますから、見開き4首に共通するのは「~からの脱出願望」と言えましょう。見開き4首ごとの啄木の仕掛、分かってくると賛嘆の外ありません。さて引用します。

短歌雑誌『創作』1910年(明43)8月号に北原白秋の歌

新らしき紺の背広を着しひとのあゆみをおもふ水仙の花

がありますが、啄木は「あたらしき背広」という近代的な歌材をおそらくこの歌にヒントをえて摂取したと思われます。

その一行目「あたらしき背広など着て」ですが、お金をはりこんで新調した洋服などをはじめて着て表に出るときの、その人だけが知るおもはゆさ、少々の晴れがましさ、そうした気分がここにこめられています。日常性からのささやかな脱出の気分です。

「旅をせむ」「旅」これこそ日常を脱して新しい土地、新しい事物、はじめての人々等に出会い心身をリフレッシュする時、「あたらしき背広」はまさにかっこうの、いわば小道具です。

「しかく今年も思ひ過ぎたる」 そのように今年も思ったがその今年も過ぎてしまった。

世紀初めの日本の庶民にとって1、2行目の願望はまことに非現実的でした。啄木自身「あたらしき背広」はおろか古い背広も持ったことはなかったのですから。したがって1首には当時の庶民の現状が巧みに映し出されているわけです。現在の日本人にとって3行目はすでに過去のものでしょうか。バブル経済のころは国内外への旅行ブームがしばらく続きましたが。

ともあれ、1、2行目の発想は100年の月日を経ても新鮮さを完全に保っています。

自分がきめた時間に自分の計画にしたがって働く農民らとちがい、資本家がきめた時間に資本家の計画にしたがって働くのが近代労働者です。労働時間の計量こそが近代生活の根幹といってよいわけです。

近代は他人によって自分の時間が管理されることを特徴としているがゆえに、そしてまた外界に関する情報が厖大化したがゆえに、日常性からの脱出という願望を普遍化しました。

その傾向は強まる一方ですから啄木の発想は常に新鮮なのだと思います。

次回は掲出歌から生まれた萩原朔太郎の詩を紹介します。

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