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2009年10月18日 (日)

時ありて

     時ありて

     子供のやうにたはむれす

     恋ある人のなさぬ業かな

<ルビ>業=わざ。

<語意>時ありて=何かの拍子に(近藤の意訳)。恋ある人=恋をしている人。

初出は東京朝日新聞1910年(明43)3月19日、3句「戯(たはぶ)れす」。

啄木は時に24歳。当時にあっては押しも押されもせぬ一人前の男、しかも5人家族の主です。それが時として子供のようにふざけたりするのです。そのたびに自分の中に潜む軽薄さを自覚し、少し反省するのでしょう。

<解釈>何かの拍子にいい年をした男が子供のようにふざけたりする。どうして年甲斐も無いことをするんだ? 私に軽薄さがあるからだ。たとえば恋をしている男なら恋人を鏡として、軽薄さが表れないように自分を持するだろう。ところがどうだ、私のこの軽さは。

「ああ、馬鹿なことをした、年甲斐もない」とひそかに嘆くのは私のような小人にはよくあること。そのたびに自分のそうした面を自覚させられるのですが、直せない。

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