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2009年10月 2日 (金)

ことさらに燈火を消して

     ことさらに燈火を消して

     まぢまぢと思ひてゐしは

     わけもなきこと

<ルビ>燈火=ともしび。

<語意>まぢまぢと(正しくは、まじまじと)=視線をそらさず見つめるさま(広辞苑)。わけもなきこと=たわいないこと。

この歌を作ったのは1910年(明43)7月27日朝。初出はすぐあとの8月7日の東京朝日新聞。初出では3句以下が「まぢまぢと革命の日を思ひ続くる」となっています。

この年の6月、7月啄木はたくさんの社会主義・無政府主義関係書を読んだので、想像力の人並みはずれたかれですから「まぢまぢと革命の日を思ひ続」けるということもやったでしょう。

ところが『一握の砂』に収める時に掲出歌のようにあらためました。まったく別の歌になりました。そして42、43ページの見開き4首に共通のモチーフをもたらします。

<解釈>わざとランプを消して、暗がりの一点をじっと見つめて思っていたのは、じつはたわいのないことであった。

人は誰も思いつめた経験をたくさん持っているものです。友情、受験、就職、恋愛、結婚、子育てなどなどをめぐって思いつめる経験をしなかった人はいないでしょう。思いつめるのはまじめな事柄ばかりとはかぎりません。男が女を、女が男をめぐってとんだ妄想をひたすら追求することもあるでしょう。啄木がまじまじと思っていたのは「わけもなきこと」だったと言いますから、それでいいわけですが、あるいは「革命の日」の空想を後になって考えると「わけもなきこと」と思ったのかも知れません。

この歌に始まる42、43ページの見開きは「思いつめる心」シリーズです。

「まぢまぢ」について。すでに今井泰子さんが指摘していますが、正しくは「まじまじ」です。

いろんな辞典に当たってみると「まじまじ」のもともとの意味は「目をしばたたくさま」です。ところが新潮現代国語辞典は北原白秋の詩集『思ひ出』にある「光眺めてまじまじと」を用例として、「じっと見つめるさま」という意味を立てています。啄木の「まぢまぢ」も同様の用例でしょう。

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