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2009年10月 6日 (火)

浅草の凌雲閣のいただきに  その1

     浅草の凌雲閣のいただきに

     腕組みし日の

     長き日記かな

<ルビ>凌雲閣=りょううんかく。日記=にき。

<語意>凌雲閣=テキストの脚注および補注参照。

初出は『一握の砂』。ということは1910年(明43)10月4日~16日の作ということになります。日記を読み返しながら作ったうちの1首です。

浅草→凌雲閣→長い日記、とあれば即ローマ字日記と来そうなものですが、肝心のローマ字日記に凌雲閣に登ったという記述はありません。それ以前の日記(08年の上京後の分)も読み返しましたがありません。だいたい啄木が浅草に行くのは塔下苑が目当てですから、夕方か夜。「凌雲閣のいただき」に登る時間ではなさそうです。しかし凌雲閣にまったく登らなかったとは考えにくいこと。

何らかのたしかな根拠がみつかるまで、一往「日記」はローマ字日記であるとしておきましょう。となると何を思いつめていたのか見当がつきます。「小説が書けない」から始まって、「金がない」→「下宿代が払えない」→「下宿を追い出されたらどうしよう」。あるいは→「自分一身の面倒も見きれない」→「そこへ家族が上京して来る。どうしよう」など。このときのかれは悩みのデパートみたいなものですから「思いつめる」材料に事欠かない、ありさまでした。

25ページ左に「腕拱みて/このごろ思ふ/大いなる敵目の前に躍り出でよと」がありましたが、そこの「(腕を)くむ」は「拱む」でした。その時「拱」という字について、「拱く」と表記すれば「こまぬく」と読み、「腕を組む。転じて、何もしないで見ている」意なのだと書きました。「腕を拱む」のは、何もしないための動作あるいは何もしないこと示す動作、ということでしょう。

ところが掲出歌では「組む」です。啄木は凌雲閣のいただきで、しっかりものを「思いつめる」ためにあえて意識して腕を「組んだ」と言っているのです。そういえば、考え事をする時の日本人のセットの仕草として「腕を組んで、うーむ、と考える」というがありましたね。

さて、1909年(明42)4月~5月の啄木はいくら「腕組みて」考えても、なんの解決策も出てこないのでした。考えあぐねて、「腕組み」の効果もむなしく、下宿へ帰って「長き日記」をきれいなローマ字でひたすらつづることになります。

ローマ字日記について紹介したいことを思いつきました。それと<解釈>とを次回にまわします。

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