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2009年10月26日 (月)

路傍の切石の上に  その1

     路傍の切石の上に

     腕拱みて

     空を見上ぐる男ありたり

<ルビ>路傍=みちばた。切石=きりいし。拱み=くみ。

<語意>切石=敷石。石畳。

「切石」の意味を調べることなく、道路際の空き地に置いてある複数の四角の石材の1つだろうと、永年にわたって読んでいました。しかし「切石の上に」は「切石の上に腰かけて」か、「切石の上に立って」かと考えているうちに、はたと疑問が生じました。

どちらにせよ「腕拱みて」と合う動作でなくてはなりません。本ブログ「浅草の凌雲閣のいただきに」でも述べましたが、「腕拱みて」は何もしないための動作あるいは何もしないことを表す動作です。そうすると「切石の上に立って」では合いません。わざわざ切石の上に立ってぼんやりと腕を拱むのでは絵になりません。

「切石の上に腰かけて」でも合いません。「空を見上」げようとすると、背筋が伸びる姿勢となります。「腕拱みて」と合わないのです。

そこでようやく愛用の新潮現代国語辞典を開きました。「切石」の語釈の③に「敷石」とあり、用例として「路傍の―の上に腕拱みて〔一握の〕」とあるではありませんか。これで解決です。「男」は(敷石で舗装した)道路の脇の敷石の上に立っているのです。

ところで当時の街路には敷石の道路がそうそうあるものではないようです。ここで、確認に3時間近くかかりましたが、次のようなことが分かりました。

銀座がもっとも早く車道と歩道に分けたこと(歩車分離)。その歩道には「煉瓦石」を敷き詰めたこと。その歩道はまもなくみすぼらしくなったこと(以上野口孝一『銀座物語』)。明治44年頃の銀座4丁目付近の歩道(写真)は明らかに煉瓦ではない敷石が使われていること(林順信『東京・市電と街並み』)。丸の内新市街三菱2号館にも立派な敷石の歩道があること(玉井哲雄・石黒敬章『よみがえる明治の東京』)など。

さて啄木の日常生活において敷石の街路(神社仏閣の道路ではなく)を歩くとすれば職場・東京朝日新聞社のある銀座の歩道と考えてよいかと思います。調べている内に思いついて啄木のエッセー「きれぎれに心に浮んだ感じと感想」を繙きました。つぎの1文がありました。場所は銀座です。

並木! 私は並木が好きだ。/ と、其並木の下を、高価な焦茶色の外套を着た一人の老紳士が、太目の洋杖(ステツキ)を鋪石(しきいし)に鳴らしつつ、静かに行きつ戻りつしてゐた。

以下次回のまわします。

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