« ただひとり泣かまほしさに  その2 | トップページ | 新しきインクのにほひ »

2009年11月21日 (土)

友よさは

     友よさは

     乞食に卑しさ厭ふなかれ

     餓ゑたる時は我も爾りき

<ルビ>厭ふ=いとふ。餓ゑたる=うゑたる。爾りき=しかりき。

<語意>さは=そのようには。乞食=生業を持たず、他人に食物・金銭などの恵みを乞うて生活する人。厭ふなかれ=きらってはいけない。餓ゑたる=食物がなくて空腹に苦しんでいる。爾りき=そうだった。

初出は『一握の砂』ですから、この歌を作ったのは1910年(明43)10月4日~16日ということになります。

「友」は特定の友人を指しているのではなく、乞食の卑しさを嫌う人達を「友」で代表させているのでしょう。

1890年代日本の貧民=下層階級に関する調査報告に、松原岩五郎『最暗黒の東京』、横山源之助『日本の下層社会』があり、ともに岩波文庫版で読むことができます。その横山源之助が1912年(明45)5月に書いた論文によると、

東京市の人口の過半数は地方からの流入者で、その大半は地方の中流生活者または中流以下の生活者からなる。その人たちが「あるいは職人の群れに入り、あるいは工場職工となり、あるいは普通労働者となり、または木賃宿に入りて、いわゆる『浮浪階級の人』となるのである。」(中川清編『明治東京下層生活誌』〈岩波文庫〉)

この下層階級の人々のうち「浮浪階級の人」たちの数も膨大で、その生活は悲惨とも凄惨とも形容しがたいものでした。上の3書で克明に生々しく報告されています。

「乞食」はその「浮浪階級」にも入れなかった、最下層の人達です。啄木の住む20世紀初頭日本の産業構造が不断に再生産する最も悲しい姿でした。したがって当時の心ある人達は乞食に同情し、乞食の悲惨を通して日本社会の構造的な悲惨を見ていました。

本ブログ「飄然と家を出でては」「ふるさとの父の咳する度に斯く」でみたように、啄木自身少年時代東京で、ホームレス状態に陥った経験がありました。もともと友人を思う心の篤い啄木でしたが、その時の経験以来、弱者・虐げられた者への同情心は非常に強くなります。

その心と社会主義思想が結びついたのが、1910年の6~7月、この歌を作っている10月にはその結合は確固としたものになっています。

掲出歌の訳はこうしたことを踏まえてなされる必要があります。

<解釈>友よ、乞食の卑しさをきらってはいけない。かれは好き好んでああなったのではない。日本の社会組織・経済組織によって生み出されたのだ。かれも人間ぼくも人間。ぼくだって食物が無くて空腹に苦しんだ時は卑しくならざるをえなかった。

« ただひとり泣かまほしさに  その2 | トップページ | 新しきインクのにほひ »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/46751731

この記事へのトラックバック一覧です: 友よさは:

« ただひとり泣かまほしさに  その2 | トップページ | 新しきインクのにほひ »