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2009年11月 6日 (金)

心より今日は逃げ去れり

     心より今日は逃げ去れり

     病ある獣のごとき

     不平逃げ去れり

初出は「学生」1910年(明43)5月号。作歌は4月でしょう。

「病ある獣」はどういうイメージなのか。わたくしなどは病気が治るまでひっそりと外敵を避けて回復を待つ様をイメージしていました。しかしテキスト106ページにこういう歌があります。

  やまひある獣のごとき

  わがこころ

  ふるさとのこと聞けばおとなし

この歌からすると啄木のイメージする「病ある獣」は「おとなし」の反対で、荒々しく落ち着かない獣の意味でしょう。

「不平」は、「心がおだやかでないこと。不満に思うこと」と広辞苑にあります。「病ある獣のごとき不平」ですから、掲出歌の「不平」は「心がおだやかでないこと」と考えてよいでしょう。

1910年(明43)4月当時の啄木の「不平」は、職場や経済生活に関するものではないようです。「かなしきは(飽くなき) その2」に書いたあの悩みが湧いてきた時の心理状態を「病ある獣のごとき不平」と言っているのだと思われます(5/17の当該ブログ参照)。5月に書いたと推定されるエッセー「硝子窓」の結びの方の一部を引きましょう。

恰度忘れてゐた傷の痛みが俄に疼き出して来る様だ、抑へようとしても抑へ切れない、紛らさうとしても紛らしきれない。・・・・怒らなくて可い事まで怒りたくなる。目に見、耳に入る物一つとして此の不愉快を募らせぬものはない。・・・・

まさに「病ある獣のごとき不平」です。「硝子窓」にはどんな時がこの「不平」の「逃げ去」った状態なのかも書いてあります。職場で仕事が忙しくて「不平」に悩む暇がなく、帰宅すれば仕事が待っていて「不平」に悩む暇がない状態、なのだそうです。これだとその日1日「不平」が無いわけです。

<解釈>心から今日は不平が逃げ去った。病をもつ獣のような、恰度忘れてゐた傷の痛みが俄に疼き出して来る様な、あの不平が今日は逃げ去った。

この歌は「逃げ去る心」をうたっています。

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