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2009年11月26日 (木)

かなしきは(喉の)

     かなしきは

     喉のかわきをこらへつつ

     夜寒の夜具にちぢこまる時

<ルビ>喉=のど。夜寒=よざむ。夜具=やぐ。

<語意>かなしきは=どうにも切ないのは(ブログ「かなしきは(飽くなき)」参照。夜寒=夜の寒いこと。特に、晩秋に夜の寒さをしみじみ感ずること。また、その季節。よさむ。夜具=夜、寝る時に使う用具。布団・まくらなどの総称。

作歌1910年(明43)10月13日。初出『一握の砂』。

10月13日は『一握の砂』創作・編集の最終段階ですが、啄木はこの日になってまた26首を作ります。その中の16首は今読んでいる「我を愛する歌」に収められます。「新しきインクのにほひ」の歌と掲出歌は続けて作られました。おそらく「新しきインクのにほひ」の歌に触発されて、この歌ができたのでしょう。

「餓ゑ」の感覚から「かわき」の感覚へ。

見開きの歌の配列からすれば、餓え→餓え→渇き、と流れてきていますが、掲出歌の内容の重点は渇きではなく、寒さ、にあります。

ちなみに、飢えと寒さをめぐって曹洞宗の開祖道元に次の言葉があります。啄木は幼少年時父一禎から聞かされていたと思われます。

只飢を忍び寒を忍んで一向に学道すべきなり。(正法眼蔵随聞記)

<解釈>どうにも切ないのは、喉は渇くが布団を出る気にはなれぬまま、晩秋の夜の寒さが忍び込んで来る布団の中にひたすら身をちぢめている時だ。

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コメント

 近藤先生 メール並びにお手紙有難うございました。深く心に刻まれるお言葉の数々でした。有難うございました。メールにしようかとも思いましたが、このブログにさらに多くの方々が触れて頂ければとも思い、こちらを選びました。
 ちょうど父の和歌(うた)を思い浮かべている中で「いつ来ても宿屋の夜具はかなしけれ~」までは出てきたのですが、覚えているはずの次の句が出てきません。先ほど先生の注釈を呼んでいて「夜具の寒さ」に出くわしました。さすがに[国民詩人]啄木です。多くの日本人が啄木の想いに触れ合わせながら、それぞれの毎日を生きたのではないかと思いました。

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