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2009年12月27日 (日)

どんよりと  その2

     

     どんよりと  その2

「どんよりと その1」の冒頭に書いたようにこの歌は1910年(明43)10月13日の作です。10月4日から12日までの間に240首もの秀歌を作ってきれいに編集し『一握の砂』はほぼできあがっていたはずなのに、啄木は13日になってまたしても26首も作り『一握の砂』の原稿を再編集します。「我を愛する歌」には明治41、42年の歌が多く、43年の歌の比重が比較的大小さいので、43年10月現在の歌の比重を大きくしようとしたのです。

これを前提とするとつぎの事が見えてきます。

A、9月上旬に「時代閉塞の現状」を書き上げた啄木は今、『一握の砂』完成の直前にいる。つまり啄木の文学上・思想上の絶頂期にいる。

B、この時期の心をうたったとすれば、ただの殺人衝動(まして秋葉原の無差別殺傷のような)は考えにくい。

C、そして「見開き」の問題。1~3首だけを見るなら啄木が「友」の中に自分を見た歌、ともとれる。しかし4首目「どんよりと」が入るとその見方はこわれる。

D、しかも啄木は「我を愛する歌」という章では自分の「心の姿」をうたっているのだった。このこととCとを合わせ考えると、啄木がこの見開きでうたったのは「自分の中に他人を見出す心」だったと思われる。

E、10月13日作と見なしうる歌につぎの2首がある。

  人がみな恐れていたく貶すこと恐れえざりしさびしき心

  雄々しくも死を恐れざる人のこと巷にあしき噂する日よ

「人がみな恐れていたく貶すこと」とは大逆事件のテロリズムを指す。「雄々しくも死を恐れざる人」は幸徳秋水を指す。

以上を整合的に取り込めばつぎの解釈になるしかないようです(「人」は、結局「3、その他」になります)。

<解釈>どんよりとくもった空を見上げていたら、「我々青年を囲繞(ゐぜう)する空気は、今やもう少しも流動しなくなつた」時代閉塞の現状と重なってきて、自分の中にテロリストの心が動き出し、強権の担当者を殺したくなってしまったことよ。

8ヶ月後啄木は詩「ココアのひと匙」でうたいます。

  われは知る、テロリストの

  かなしき心を――

  言葉とおこなひとを分かちがたき

  ただひとつの心を、

  奪はれたる言葉のかはりに

  おこなひをもて語らむとする心を、

  ・・・・・・

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