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2009年12月28日 (月)

人並みの才に過ぎざる

     

     人並の才に過ぎざる

     わが友の

     深き不平もあはれなるかな

<初出>「スバル」1910年(明43)11月。

「わが友」がだれか分かると作品の彫り込みがいっそう見えてくるのですが、今のところ分かりません。「それもよしこれもよしとてある人の その2」でつぎの文を引きました。啄木の第2歌論「歌のいろいろ」の1部分です。再度引きましょう。

己の為る事、言ふ事、考へる事に対して、それを為ながら、言ひながら、考へながら常に一々反省せずにゐられぬ心、何事にまれ正面(まとも)に其問題に立向つて底の底まで究めやうとせずにゐられぬ心、日毎々々自分自身からも世の中からも色々の不合理と矛盾を発見して、さうして其の発見によつて却つて益々自分自身の生活に不合理と矛盾とを深くして行く心――さういふ心を持たぬ人に対する羨みの感は私のよく経験する所のものであつた。

こうして啄木は見えすぎるほど見える人でした。自分でももてあますほど物事が見えてしまうのです。だから「わが友」の才能も底の底まで見えています。

啄木の心の姿としては「見えすぎるかなしみ」となりましょう。

<解釈>人並みの才能でしかない友の不平を聞いていると、その不平が深ければ深いほど、友の自己認識の浅さが露わになり、かわいそうになってしまう。同時に私の「見えすぎるかなしみ」も深まるのだ。

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