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2010年1月11日 (月)

とある日に  その2

     とある日に  その2

02年(明35)の第1次上京の時、義兄山本千三郎から送金があるや下宿代も考えず丸善と中西屋(中古の洋書専門店)に行って英書を買いあさった啄木、心身病んで敗残の帰郷となった翌03年(明36)2月、父親のなけなしの財布から2円35銭出させてWagner を買ってもらった啄木、父堀合忠操によって監禁中の節子を動かしてSurf and Wave を買ってもらった啄木、啄木の英書を欲する気持ちはかれの天才が欲求するのであって、凡人には推知し得ない体のものです。啄木端倪すべからず。

傍証を1つ引用しましょう。1909年(明42)3月2日宮崎郁雨に出した手紙の一部です。希有のことですが2月26日啄木の懐に5円札が4枚も入っていました。

そしてフラリと中西屋――書肆――へ入つた。君、背皮の金文字が燦爛として何千冊の洋書の棚に並んでゐる前に立つたとき、僕は自分の境遇を忘れ、函館(函館にいる老母妻子―近藤)を忘れ、下宿屋のツケを忘れ、三秀舎を忘れ、・・・・・何もかも忘れた。忘れたのではない、それらを圧倒する或新しい気持に今が今までの堅い心を破られた。オスカーワイルドが最近英国詩人中の異彩であつたこと、その思想の世紀末的空気に充ちてゐることは多少聞いてゐた、そのワイルドの思想を覗ふべき一冊の紫表紙の本が鋭くも僕の目を射た、『高いに違ひない。馬鹿な、止せ、止せ、』と胸の中で叫びながら、僕は遂に番頭に言つた――

『これはいくら?』『三円五十銭でございます。』

『それその通り高い!』と僕は胸の中で言つた。その癖、殆んど本能的に僕は財布を出して、五円札一枚を番頭の手に渡した! 君、許してくれ。既に何年の間、本といふ様な本を一冊も買ふことの出来なかつた僕の、哀れな、憐れな、愍れな欲望は、どうしても此時抑へることが出来なかつたのだ、・・・・僕はその時、函館の商工会議所でエンサイクロペヂア、ブリタニカの臭ひを嗅ひだことを思出した。そして何か悪事でも働いた時の様な気持で中西屋を出たのだ――

まして1910年7月の啄木がどんなに英書が欲しかったか、推察できるでしょう。

しかしこの歌は英書を買う金が欲しいとうたっているのではありません。この日頃その金が欲しいと思っていたけれど、「今日」になって突然「切に」そう思うわが心の不思議な動きをうたっているのです。初出は4句が「今日は我切に」となっていて、「今日」を強調したい啄木の気持ちがよく出ています。

<解釈>このところ英書を買う金が欲しいと思っているわたしだが、ある日突然無性に酒が飲みたくなるように、今日突然心底から英書を買う金が欲しい!と思うことだ。

ちなみにつぎの歌は上の函館商工会議所での思いをうたったものです。

  あたらしき洋書の紙の

  香をかぎて

  一途に金を欲しと思ひしが

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