« 大いなる水晶の玉を | トップページ | ある朝のかなしき夢のさめぎはに »

2010年1月25日 (月)

うぬ惚るる友に

     

     うぬ惚るる友に

     合槌うちてゐぬ

     施与をするごとき心に

<ルビ>惚(る)=ぼ(る)。合槌=あひづち。施与=ほどこし。

<語意>うぬ惚るる=自惚れる=自分の能力や容姿などを、実質以上にすばらしいものだと思い込んで得意になる。施与=恵み与えること。

初出「スバル」1910年(明43)11月号。

友が(おそらく文学的能力に)自惚れて語るのを聞くとき、かれ自身の思う能力と実力とのギャップを意識せざるをえなくなります。そこを突くのはかわいそうに思います。だから相手の言葉に同意のしるしを表してうなずき続けるしかないわけです。

その時の内心を思うとけっこう複雑です。1つうなずくごとに1つウソを演じていることになります。それはイヤだと思います。しかしうなずかなければ相手が傷つきます。それでは相手がかわいそう、と憐れみ情が浮かびます。うなずき続けてやるか。

そんな自分の内心をのぞき込んだ啄木は、托鉢僧や貧窮者に金品を与える行為(ほどこし=施与=布施)を連想し、自分の意識を「施与をするごとき心」と捉えたのでしょう。

こういう繊細・微妙な意識の彫りだしは啄木の独擅場です。

顧みると、わたくしも「施与をするごとき心」になったこともあったようですが、他人に「施与をするごとき心」になってもらったことの方が多いような気がします。

« 大いなる水晶の玉を | トップページ | ある朝のかなしき夢のさめぎはに »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/47358932

この記事へのトラックバック一覧です: うぬ惚るる友に:

« 大いなる水晶の玉を | トップページ | ある朝のかなしき夢のさめぎはに »