« 何もかも行末の事みゆるごとき その2 | トップページ | とある日に  その2 »

2010年1月10日 (日)

とある日に  その1

     

     とある日に

     酒をのみたくてならぬごとく

     今日われ切に金を欲りせり

<ルビ>切に=せちに。欲り=ほり。

<語意>切に=心の底から願うさま。

作歌1910年7月26日夜。初出東京朝日新聞1910年(明43)8月4日。初出では4句が「今日は我切に」と「は」が入っている。

岩城之徳氏はこの歌に「金欲しさの痛切な訴え」を見、今井泰子氏は「金ほしさ」という「欲望の悲しさ、いやらしい心の飢え」を見ています。上田博氏は「ふいに欲しいと思ったのである.人にはいろいろな衝動がある」と言います。木股知史氏は「生活者の金銭に対する痛切な欲望」を見ています。

啄木と言えば貧乏、貧乏と言えば啄木、みたいなところがありますが、かれは金があればあきれるくらい気前よく遣い、無いとずいぶん辛抱し、切羽詰まると借金する、のパターンを繰り返します。

つまり啄木は本来的には金に執着しないのです。大乗仏教では「施す者も、施される者も、施物も本来的に空であるとして、(布施は)執着の心を離れてなされるべきものとされた」(『岩波仏教辞典』)そうですが、僧家の出の啄木の金銭感覚にはこの布施の観念が流れているような気がします。

その啄木が金をこんなにほしがるのはむしろ異常です。

ここで20数年来の疑問がよみがえりました。啄木は大逆事件後社会主義・無政府主義の研究を始め、日本語で読めるものはほとんどすべて読みました。しかし英書で読んだ形跡はこれまでのところ見えません。なぜなのか。

掲出歌と結ぶとこの謎が解けます。かれの猛烈な知的好奇心は常人の理解を絶します。第1次上京時の英書漁りに始まるかれの英書購入をめぐるエピソードはドラマチックです。

作歌の日が7月26日であることの意味については本ブログ「かなしきは(飽くなき)」と「何がなしに」を再読されてご確認ください。この日に近いある日英書を買う金が無性に欲しくなるのは必然的と言っていいくらいです。

あとは次回です。

« 何もかも行末の事みゆるごとき その2 | トップページ | とある日に  その2 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/47218389

この記事へのトラックバック一覧です: とある日に  その1:

« 何もかも行末の事みゆるごとき その2 | トップページ | とある日に  その2 »