« うぬ惚るる友に | トップページ | こつこつと空地に石をきざむ音  その1 »

2010年1月27日 (水)

ある朝のかなしき夢のさめぎはに

     

     ある朝のかなしき夢のさめぎはに

     鼻に入り来し

     味噌を煮る香よ

<ルビ>来(し)=き(し)。味噌=みそ。

<語意>味噌を煮る香=味噌汁を作っている時に立ちのぼる味噌の香。

作歌1910年(明43)10月13日、初出「精神修養」10年12月号。昔からすごい歌だと思って来ましたが、どこがすごいのか、この評釈の中で考えてみます。

「かなしき夢」、かなしさの内容は示されていませんが、「味噌を煮る香」との対比の中で考えることができそうです。

「さめぎわ」、まだ「かなしき夢」の中にいます。その夢の中にいる作者の鼻に「香」が入ってくるわけですが、はいった瞬間は嗅覚を刺激しただけで、まだ夢の中です。それから数分の1秒か、数秒か分かりませんが「味噌を煮る香だ」と意識されます。意識された瞬間がうつつ(=現実)に入った瞬間です。

そのままうつつに移ってしまったのか、夢の名残にまどろんだのか分かりませんが、「味噌を煮る香だ」はやがて強い力で作者を現実に引き入れたことでしょう。なぜなら、「味噌」は日本の調味料の元祖であり、その臭いは当時の日本人にとってもっとも強烈な生活臭の1つでしたから。

「味噌を煮る香」は家人が朝ご飯の用意の完了間近を意味し、作者にとっての1日の開始間近を意味します。

このあまりに現実的・生活的な「味噌を煮る香」に目を覚まされる前の「かなしき夢」にもどります。夢の内容も現実的・生活的なものだったのか、それとも二つは鮮やかに対照的なものだったのか。

ここでは夢とうつつが似た内容間の移行であるよりも、全くちがう世界間の移行だったと考える方が、啄木の歌らしいと思います。後者をわたくしは取ります。

「かなしき」は「愛(かな)しき」ととることもできます。「函館の青柳町こそかなしけれ」のあの「かなし」です。

この歌を作ったのは10月13日、10月4日に妻節子は長男真一を出産。掲出歌が作歌時に近ければ「味噌を煮」ているのは母カツでしょうか。

<解釈>ある朝切ない恋の夢を見てそのさめぎわに、隣の部屋から家人が煮る味噌の香が漂ってきて、わたしを夢からうつつへと連れ出したのだった。

切ない恋の夢という視覚的幻想世界と家族の朝飯で始まる日常的現実世界、夢からうつつへの回転軸になったのは味噌を煮る香という生活臭の典型。

山本健吉の評を引いておきます。

「味噌を煮る香」に、この作者特有のウィットがきいている。芭蕉の「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」に似ている。あまりにも現実的な、生活の匂いを思わせる味噌の香に、作者は夢から引きもどされるのである。

« うぬ惚るる友に | トップページ | こつこつと空地に石をきざむ音  その1 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/47395184

この記事へのトラックバック一覧です: ある朝のかなしき夢のさめぎはに:

« うぬ惚るる友に | トップページ | こつこつと空地に石をきざむ音  その1 »